母が大腸がんになった!肺に転移しているのでステージ4です診断された!その時とった行動とは

母が大腸がんになった!肺に転移しているのでステージ4です診断された!その時とった行動とは
目次

癌(がん)と診断された時の心構えとするべき大切なこと

こんにちは、のんきに本気なジョーです。

母の大腸がん(ステージ4)と診断されてから2018年7月で5年経過しました。

現在、大腸がん再発、転移なし。

肺のガンについても、全て切除し現在、再発、転移なし、肺がんについては10年経過する必要があるということで、あと5年、半年に一度検査をし闘病が続くようです。

このページでは、息子として母にしてきたこと、母がやってきたこと、どのようにして母の癌(がん)を乗り越えてきたのかをまとめていきます。

母の入院中、私は週に6回は訪れて、メモを取り、先生看護師さんの話を聞き病状を把握するようにしていました。。

私は、母が癌(ガン)になる前、期間は短いですが資産運用の会社と保険会社に就職していた時期がありました。

ファイナンシャルプランナー(AFP)の資格を保有し、保険や医療のことについて若干の知識を持っていて良かったと思えました。

*やってきたことを、まとめていきます。必ずしも私がやってきたことがガンに対していいのかどうかわかりません。私の経験では良かったということになります。大腸がん発覚当時、藁(わら)にもすがる思いでした。どんなことでも、体に良いと言われることはやってきました。

 

母がガンと診断された時に私がやってきたことと心構え

  1. あきらめない。
  2. 公表する。
  3. 母の生活習慣をみなおす。
  4. 記録(メモ)をとる。
  5. ガンに対することを勉強する。
  6. 体に良いと言われることを色々試す。
  7. 出来る限りの時間を母に費やす。
  8. あらかじめ高額療養費制度を利用できるように、限度額適用認定証を用意する。
  9. 加入している医療保険など確認をする。
  10. 先生を信じつつ、自分で考える

私が一貫してやってきたことは、1~7までです。

8と9は、母が癌(がん)と診断された後、すぐに確認しました。

10については、ガン闘病中に気づかされたことです。

 



あきらめない

癌(ガン)と診断され、たとえどんな状態でも、あきらめないことが大切でした。

ガン闘病中は何が起きるかわかりません。

そのことに気づかされたことが実際におきました。

その衝撃な出来事について、病院の先生から

「とてもまれなことです」

と言われました。

 

闘病中、先生から

「非常に危険な状態です。」

と言われたこともありました。

緊急手術の後、母はICUにいました。

危険な状態は続き朝の2時位に帰宅した私は眠れず、携帯を握りしめていました。

いつ、病院から電話がくるかわからない。

 

そのような状態でしたが、母はそこから這い上がりました。

あきらめなかったことが良かったのかもしれません。

急に、医療が進歩して助かる方法が見つかるかもしれません。

ガンと診断されると、絶望的な気分に陥ると思います。

ガンの診断の結果ステージ4、転移が見つかったなど、結果が悪ければ悪いほど、どんどん絶望的な気持ちになると思います。私はそうでした。

5年生存率を調べたり、余命を調べてしまうこともあると思います。

息子である私は、絶望的な気持ちでたくさん調べました。

そんなネガティブな気持ちを、打ち消してくれ、助けてくれたのが今の妻です。

妻は何も言わず、永遠と私の話を聞いてくれました。

そして、ネガティブな気持ちではいけないと思い、どうにか完治を目指そうと決めました。

5年生存率が、例え低くてもあきらめないと決めました。

今までのガン患者のデータの中には、私の母のデータは入っていません。

5年生存率が1パーセントだとしても、1パーセントあるから治ると考えるようにしました。

今までの私の人生で1パーセントの確率で起きるようなことなんていうことは、たくさん経験してきました。

 

 




公表する

私の母は父と一緒に飲食店を経営しています。

母は大腸がんが発覚した当時、私にガンのことを伝えませんでした。

私が聞いたのは、二日後位でした。

飲食店にくるお客様に、母がガンを患ったことを公表していませんでした。

大腸がんが肺に転移してステージ4であるということがわかった時に公表しました。

公表したことで、まわりのお客様やガンを経験している方々から色々な情報が得られました。

結果的に公表したことが良かったのです。

 

ごくまれに、「転移のガンだから治らない。」という方や、「私は、ステージ1で良かった。ステージ4だったら助からなかった。」などと、我々に聞こえるように言う方もいました。

その方達は身内にガンを患った方がいて、助からなかったようでした。そのため、そういう言い方になってしまったのかもしれません。

我々にとって良い影響がなさそうな方とはガンのことは話さずに距離をとることにしました。

とにかく、必死に治すことだけに集中することにしました。

ほとんどの方は良い方です。

ガンを公表することで良い情報を手に入れることができました。



生活習慣をみなおす

癌(がん)と診断されたら、原因をつきとめることが大切だと思いました。

なぜ、癌(がん)になってしまったのか

タバコの吸い過ぎで肺がんになったとしたらタバコはやめる。

何がいけなかったのかをよく考え抜きました。

そして、悪かったところを見直していきました。

 

母の大腸がんの場合、母はずっと便秘でした。

何十年もずっとです。

ある日急になってしまう癌(がん)もあるかもしれませんが、何年もかけて大きくなっていった癌(がん)に関しては、何か原因があると考えれらます。

癌(がん)と診断されてからは、原因を突き止め、生活習慣をみなおしました。

現在、母は毎日、便が出ているようです。

「何十年ぶりかに良い形の便が出た!」と母から電話がくることもありました。



記録(メモ)をとる

私は、母が大腸がん、肺への転移でステージ4、肺への転移の量が多すぎて手術不可と診断された時に、手帳をつくりました。

どんな些細なことでも記録(メモ)をとるようにしました。

母のストレス状況、何を食べたか、漢方を飲み始めた日、何がしたいか、どこに行きたいか、いま体の痛みはあるか、先生や看護師さんから言われたこと、とにかく毎日あらゆることを記録(メモ)しました。

そして、その記録(メモ)のおかげで、どのようなことをしてきたのか、今現在このブログを書くことが出来ます。

今、ブログを書きながらその手帳を見ると、こんなことしたの?ということが多いのです。

ほとんど忘れています。

必死だったのかもしれません。

どんどん忘れていくので、記録(メモ)をとることが私にとって重要でした。

してきたこと全てを覚えられるような人は、メモを取る必要はないかもしれません。



ガンに対することを勉強する

ガンの事を題材にした本、テレビ番組、色々あります。

そして、ガンに対して勉強しまくると必ず気づくことがあります。

それは、「この本、あの本と真逆のことを言っている。」ということです。

どうすれば、いいのかわからなくなってしまう時がきます。

真逆のことを言っているなら、「ガンについて勉強しなくていいか」とおもってしまうかもしれませんが、そうでもありませんでした。

癌(がん)についての知識をつければつけるほど、どの本の言っていることが自分の母にはあてはまるのか、どのような治療がいいのか、どのような先生が良いのかが知識をつければつけるほど、見えてきました。

ガンについてたくさんの知識をつめこみ、どうすることが母に良いのかを見極めることです。

どこの病院のなんという先生にみてもらうかが決まったらある程度は信じ信じすぎないことです。

信じすぎないというのはあることが起きてから気づかされたことです。

子育てにもあてはまります。

子育ての本は多数ありますが、正解はないと私は考えています。

私の中で一つ正解があるとしたら、「どんな時も愛情をもって無償の愛で接する。」ということでした。

それは、「話を聞く。」「相手の立場になり想像する。」「言ったことは守る。」「時間を守る。」「見返りをもとめない。」「嘘をつかない。」これらを徹底していると、どのように息子と接することがいいのか、母と接するといいのか答えが見えてきます。

癌(がん)に対することを勉強しまくることです。

すると、どのように闘病していけば良いのかが見えてきました。

体に良いことを色々試す

ガンに対してだけではなく、体にいいということを色々試してみました。

お風呂、温泉、食べ物、散歩、運動、体に良いとされることは色々あります。

それら、手上がり次第やってみました。

今までやってこなかった体に良いとされるあらゆることをやってみました。

それらの何が効いたのかは、はっきりしませんが、とにかく体に良いことをとやりました。

体を強くすることで増え続けるガン細胞を倒す細胞がたくさん作りだされるかもしれないと勝手に考え、あらゆることを試しました。

出来る限りの時間を母に費やす

母の癌(がん)が大腸がんのステージ4とわかってから、持っている時間の出来る限りを母に費やすと決めました。

当時、私は現在の妻と再婚をしようと考えている時でした。

私は妻との出会ったことにより全てが良い方向に向かいました。

薄かった毛が濃くなり、体の震えもなくなりパニック障害を克服、花粉症が治り、光線過敏症も良くなり、睡眠時間1日2時間、熟睡などしたことなく、寝るとすぐに金縛りで全く眠れなかった私が眠れるようになりました。

それは、栄養士である妻が陰ながら私に作ってくれていた料理と私の話を何も言わず聞いてくれたおかげだと思います。

私の病気のほとんどはストレスによりなってしまったと自分では考えています。

当時、こんな苦しい辛い経験がこの世にあるのかということを経験し続けました。それがストレスとなり、体のあらゆるところに症状となって出てきました。

妻と出会うことで、私の体調は快方へと向かいました。

この時、私はストレスをなくすこと、考え方、食べ物、睡眠時間、愛情、大切なことを妻から学びました。

母は、私が今の妻と出会い、私の病気が治っていったのをわかっていたようです。

「あなたのお付き合いしている彼女には感謝してもしきれない。今の子と付き合ってからあなたは、どんどんよくなっていく。顔つきも体も、あなたは気づいていないかもしれないけれど、あなたの体の震えもなくなった。全て良くなった。文句を言いようがない。どうか、今の彼女との結婚を願っている。二人の事だからわからないけれど、どうか別れないでほしい。」

と言いました。

母は、妻と会ったことも話したこともありません。

それでも、妻がどういう子かわかっているようでした。

そして、今までお世話になりっぱなしの母のために出来る限りの時間を使うと決め完治を目指しました。

あらかじめ高額療養費制度を利用する為、限度額適用認定証を用する

癌(がん)になると考えてしまうことに「医療費はどのくらいかかるだろう?」「入院費、手術代はいくらかかるんだろう?」ということがあると思いますが、安心してください。

日本には高額療養費制度というものがあります。

この制度について簡単に言うと「医療費が高額になった場合は、申請することであとで払い戻される制度」です。

ここでいう、「あとで」が少々問題です。

申請をしないと戻ってきません。

癌(がん)の治療、抗がん剤などにはたくさんのお金がかかります。

大金持ちでもない限り、その都度、現金をたくさん用意するのは大変だと思います。*医療機関では現在クレジットカードを利用できるところが増えています。

そこで、便利なのが限度額適用認定証です。

限度額適用認定証があると、医療機関で支払うお金が自己負担限度額までとなります。

これにより、たくさんの現金を用意しておく必要がなくなります。

私は母が癌(ガン)と診断されるとすぐに限度額適用認定証を用意しました。



加入している医療保険など確認をする

癌(がん)と診断されたら加入している医療保険を確認しました。

医療保険には様々なタイプのものがあります。

保険適用外の先進医療が受けれるもの、癌(がん)と診断されたら一時金が受け取れるもの。

私の母は、医療保険には入っておりましたが、ガン保険には入っておりませんでした。

高額療養費制度を利用しても、差額ベッド代や食事代については対象外になります。

食事代は高額になることは、あまりないと思いますが、差額ベッド代が入院日数が多くなると高額になる場合があります。

差額ベッド代について考える必要があります。

母の入院時、差額ベッド代が不要な部屋で入院を希望していました。

しかし、差額ベッド代が不要な部屋は全て埋まっているということが何度かありました。

差額ベッド代を支払わなければいけない部屋しか空いていないということが多々ありました。

1日につき3000円程度ですが、10日入院で3万円です。

保険適用外となりますので、何度も何度も入院する場合は大きな出費となってしまいます。

母は長くて数カ月入院したときがあります。

その時は途中で差額ベッド代が必要のない部屋にしていただきました。

入院日数が長くなればなるほど、大きな出費になります。

加入している保険のすみずみまでよく読む必要があります。

私も母の入っている保険をすみずみまで確認いたしました。



先生を信じつつ、自分で考える

色々な知識をたくさんつけていくと、どんな先生が良いのか、どの先生に診てもらうのがいいのかがみえてきます。

そして、この先生に全て任せれば平気だと考えてしまう時が出てきます。

先生は、人を助ける為、命を助けるためにやっています。

先生を信じることはとても大切です

ガン闘病中は色々なことが起きる可能性があります。

ある先生には感謝の気持ちでいっぱいですが、もやもやした気持ちが残っている先生もいます。

感謝の気持ちとモヤモヤが混ざっている先生もいます。

先生を信じて知識をつけ自分で考えて行く事が最も大切だということがわかりました。

私の母のガンの場合、非常にまれなことが起こりました。

そのことがきっかけで「先生を信じることも大切だが、自分で考えることはもっと重要だ。」と気付かされました。

信じることは大切ですが、自分で考えることをやめてしまうのは良くないことだと痛感しました。

「あれ?この治療法でいいのかな?」と思ったら自ら考えセカンドオピニオン、サードオピニオンと進むとガンを完治させる新たな道が開けるかもしれません。

我々はそうしてきました。

母がガンで闘病中、入院中、先生や看護師さん、入院患者のみなさま、たくさんの方々にお世話になりました。

患者の皆様はみなガンと向き合い戦っていました。

その姿に私もたくさんの力をもらいました。



母が大腸がんとわかった時にとった行動

2013年6月下旬~7月初旬、私が再婚を考えはじめているころ、今まで感じたことがない妙な胸騒ぎを毎日感じていました。

夜寝るとき、実家に住んでいる母を思い出し

「お願いします。長生きしてください。」

と毎日のように考えるようになったのです。

このように考えるようになったのは、どうしてか。

当時の母の印象は、私と一緒に出掛けるとすぐに疲れてしまうという印象でした。

私は母の体に何か起きているのではないかと思い、このような妙な胸騒ぎを毎日感じるようになったのかもしれません。

暑くなりはじめたころ(2013年7月6日)、私が実家に戻った時でした。

私は、家族みんなで北海道旅行に行く計画をしていました。私のマイルが貯まっていたので、そのマイルを使い普段お世話になっているお父さんとお母さんを旅行に招待しようと考えていたのです。

 

私「お母さん、マイルが貯まっているんだ。そのマイルで北海道旅行に10月頃行こうと思うんだけど、どうかな?」

母「旅行行きたいね。実は私、血液検査と検便をしたの。そしたら、便に血が混ざっていたみたいなのよ。だから、内視鏡をすることになったの。平気だと思うんだけどちょっと待ってね。」

私「そうなんだ。」

この時、私は、胸騒ぎはこれのことだったんだ・・

何か母の体で大変なことが起きているような気がする。

そう思いました。

母「どう?息子からみて私平気だよね?平気だと思うでしょ?」

私「平気だと思うよ。でも北海道旅行は内視鏡の結果の後に決めようか。そういえば、なんで、検便をすることにしたの?」

母「便が出た時に、血が混ざっていたのよ。だから病院に行ったの。そしたら検便をすることになって。」

私「その時の便って何色?」

母「すこし黒っぽかったかな?赤ではなかったのよ。」

黒っぽかったのか・・私は、どんどん嫌な予感がしてきました。

母「大丈夫よね?」

私「大丈夫だよ!」

その時、私は大丈夫と言いました。

しかし、もしかしたら大腸がんかもしれないと考えていました。

その理由はいくつかあります。

母は、数十年間ずっと便秘です。便は1週間に1度出るか出ないか。便が出ても、細い便でとても匂います。また母は食べ物はベーコンや、甘いものが大好きです。

このようなことから、大腸がんをかもしれないと考えてしまいました。

母はヘビースモーカーです。この時、肺については大丈夫なのだろうか?とも考えていました。

 

たばこについて、母に

私「たばこをやめたほうがいいよ。」

と、よく言っていました。

しかし、

母「たばこは私の生きがいなんだ。たばこをやめるくらいなら人生をやめる。」

とまで言っていました。そこから、私はたばこについて何も言わなくなりました。

私が子供の時、

私「お母さん、がんの検査をしたほうがいいよ。」
とよく言っていました。

しかし、母は検査をしません。

私が知っている限り一度だけ、がんについて検査をした時があります。

その時は、肺に影が見つかったので詳しく調べますということでした。

その検査では、平気でした。

このように、何かあってからでないと母はがんの検査をしませんでした。

自分自身に対しても言えますが、ガンの検査や人間ドックなどは本人が行く気がないと、行かないと思います。

家族の異変に気づいた時は、本人に行く気がない場合、家族が予約をとって本人を連れていくということがいいのかもしれません。

そうしないと、何かあってから検査するということになります。

ガンの場合、何かあってからでは進行してしまっている可能性があります。

今回、母は便に血が混ざっていたということで検便をし内視鏡を受けることになりました。

大腸がんの場合は、既に進行している可能性があります。

そして、母は大腸内視鏡(2013年7月18日)をしました。

母は結果を私にはすぐに言いませんでした。

私「あれ?もう、結果出ている日だけど母から電話こないな。平気だったのかな。こっちから電話するのはよそう。」

仕事で事務所へ行きました。

仕事をしていると、兄がきて

兄「お母さんから聞いた?」

私「何も聞いてないよ。」

兄「そうか。お母さんから連絡くると思うよ。」

と言いました。

すると、その後、実家にいる母からすぐに電話がきました。

母「お母さん、検査の結果良くなかったのよ。」

私は、やはりそうか。。と思いました。

私「そうなんだ。」

としか言えませんでした。

どう良くなかったのかについても聞けませんでした。

声のトーンで結構良くないのだなとわかりました。

実家に戻り母に会いました。

そこには、内視鏡で大腸をうつした画像がありました。

画像をみると、腸の中に癌(がん)がびっしりつまっていました。

「こんなに、なっちゃってるんだよ。」と父が言いました。

これ(癌)のおかげで、便秘だったり、便が細かったり、血が混ざっていたんだ!と私は思いました。

私はその画像を見た時、

私「大丈夫だよ。治るよ。平気。」

と言いました。

腸は、ガンでびっしりで、ものすごいひどい状態でした。

しかし、不思議と私はそのとき大丈夫と心から思ったのです

今まで私は色々な困難を乗り越えてきた、今回の母の件も乗り越えられると考えていたのです。


ここで書いている記事のことについては、当時感じた、私の個人的経験上の話となりますので、参考程度にしていただき、鵜呑みにすることのないようにお願いいたします。

医学は日々進化しています。新しいことをどんどん調べていく必要があります。

普段の生活で大腸がんの初期症状に気づくのは難しいかもしれません。

便が細い、便に血がまざっているという症状が出た場合は、大腸がんだとすると少し進行している可能性が高いようです。*母の場合もそうでした。

私の考えでは、大腸内視鏡を定期的に受けることが大腸がんを進行させないとても良い方法であると考えています。

また本人が自分自身で病院に検査に行かないという場合は、家族が予約して連れていくという方法がいいかもしれせん。



大腸がん発覚→セカンドオピニオン

大腸がんが発覚した当時、母は内視鏡を受けた先生のすすめで、近所の病院で手術してもらうことになりました。

その当時、以下のような会話を先生としたようです。

母「他の病院でも診てもらいたい。」

先生「他の病院って、知っている病院があるんですか?早く予約を取らないといけないですよ。すぐにでも手術をしないといけない。今から電話して予約をとっておくのですぐに行って手術をしてください。」

と当時の内視鏡をした先生は、その先生の先輩が働いている近所の病院の予約をとりました。

母はその近所の病院で手術することがとても不安だったようです。

母は、ある行動に出たようです。

大腸がんとわかったその日に、信頼している病院の先生の所にすぐに行きどのようにしたらいいのかお話を伺いに行ったようです。*母から聞いた話です。この時点で、私は母が大腸がんであるということを知りません。この次の日に私は知ることになります。

母が信頼している病院の先生に話をした後にも答えが出ず、母(父と飲食店を経営)はお店に来るお客様で病院に詳しい方にお話をうかがい、大腸がんに精通している先生を教えていただきました。

その方いわく、その大腸がんに精通している先生に診てもらうは難しいようです。

母は、インターネットでお客様に教えていただいた先生(K先生とします)についてたくさん調べたようです。

この時すでに母は、セカンドオピニオンを考えていました。

母は調べていくうちに、K先生が都内で病院を開いていることを発見しました。

 

ここから先は、私がつけてきた記録と記憶からに記事になります。

母は、

「K先生に診てもらいたい

と決意し私に大腸がんを告白した日、私と父の前でK先生の病院に電話しました。

 

母「大腸がんが見つかって、ものすごい大変な状況のようなんです。どうか力になっていただけないでしょうか。」

母は泣きながら、電話の人に訴えかけていました。

たくさん話をしていました。

話していくうちに・・

「そうですか。とにかく、来てください。診てみます。」

ということになりました。

診てもらうえることになったのです。

7月23日に電話して7月25日に予約をとっていただけました。

 

私「お母さん、良かったね。自分が信じられる先生に診てもらえそうだね。そういえば、近所の病院、予約とってしまっているから行きませんと伝えた方がいいかもしれないね。」

母「そうだよね。電話しておいたほうがいいよね。」

そして、近所の病院は、キャンセルしました。

 

2013年7月25日、とても良い天気暑い日でした。

今でも覚えています。

この時から、私は

母との時間を大切にしよう

出来る限り母と時間をとろう

母が楽しいと思うことをしていこう。

と決めました。

実家からとても遠い病院です。

私と母は、電車を使いK先生の病院に向かいました。

病院につくと、看護師さんから

「再び内視鏡をします」

という説明を受けました。

この日は、次回の内視鏡の説明を受けて終わりました。

内視鏡をする日が2013年8月1日になりました。

こちらの病院では、早期発見の小さいものなら内視鏡で取れるということを私と母は、知っていました。

私は

「そうなればいいな」

と願っていました。

病院の帰り、母と一緒に食事をするためレストランを調べておきました。

自然食のバイキング形式のお店で食事をしました。

母の大腸がん発覚から、今まで母が好きだった甘いもの、ベーコン、ソーセージ、ハンバーガーなどから、野菜をとるように変えていきました。

自然なものを食べる。

品目を多く食べる。

ことを心がけました。

私は、母と食事に行くときは野菜がとれる自然食のバイキング形式のお店で食べることにしました。

自然なものを食べることができ、品目も多く食べることが出来るのでバイキング形式がとても良いと考えました。

2013年8月1日、再び内視鏡をするためにK先生の病院に行きました。

自宅で腸が綺麗になるまで便を出し、病院についた時には、まだ腸が綺麗になっていませんでした。

綺麗になったとき、母が内視鏡を受けに行きました。

待合室で、雑誌を読んでいた私・・・

雑誌の内容が頭に全く入ってこなかったのを覚えています。

待合室でずっと、

「内視鏡で悪いところがすべて取れてしまえばいいな。」

と考えていました。

その思いとは反対に・・

母はすぐに出てきました。

内視鏡の後は、しばらく横になって休みます。

 

母「随分、早かったね。私の癌、内視鏡では取れなかったのかな。」

私「うん。どうなんだろう。」

先生に呼ばれました。

先生「直腸に癌(がん)がドーナッツ状にあります。ここではなく、Y病院で再び診ることになります。」

この時、母も私も不思議に思いました。

母に話をしている先生は、母が診てもらいたかった先生ではなかったのです。

母「今日の内視鏡は、K先生(有名な先生です)がやってくれたんですか?」

先生「そうですよ。内視鏡はK先生がやられました。お話は私がします。それでは、Y病院で再び診てもらってください。8月13日に予約を取っておきました。」

母「わかりました。」

とても、心配そうな母。

母と待合室にいると・・

なんと!

K先生が病院内を歩いています

母が、急に立ち上がりました!

母「先生!私、大丈夫でしょうか!」

他の看護師さんが、母がK先生と話すのを止めようとします。

K先生「あー大丈夫ですよ。」

そこでお話は終わりました。

「大丈夫ですよ。」の一言が嬉しかったです。

その後、母と再びこの前と同じ場所(自然食のバイキング形式のレストラン)で食事をとりました。

気が早い母はデパートで入院のためのタオルなどを買いそろえていました。

「入院日も決まっていない。」

「入院するかどうかもまだわからない。」

それでも、母は何か行動をしたかったのかもしれません。


母は、大腸がんが発覚し、たばこをやめました。

大腸がんとわかったその日から一切吸っていません。

「たばこをやめるくらいなら人生をやめる。」

と言っていた母がたばこをやめました。

そして、母は、美容院に行き長かった髪も短くしました。


以下は、「内視鏡では母の癌(がん)を取ることが出来ない。」とわかった時の私の行動です。

  • 大腸がんについて、たくさんの本を読み勉強した。
  • 市役所へ行き「限度額認定証」を取った。
  • 母の生命保険の確認をした。
  • 「療養手帳」をつけることにした。
  • 食事について勉強した。

食事についても、たくさん勉強しました。

当時、食べるようになったのが黒ニンニクです。黒ニンニクという存在があることを、知りませんでした。

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Y病院での検査結果→ステージ4

2013年8月13日

再び診てもらうためにY病院に母と行きました。

ものすごく大きな病院。

病院の中にはカフェもコンビニもあります。

とても明るくて清潔な病院で病院とは思えない。

病院特有の匂いも全くしないし、病院特有の静かな雰囲気も感じません。

病院では足音が気になりますが、この病院では足音もしない。

色々な工夫をされているんだろうな、来る患者の事を考えて設計しているんだろうなと感動してしまいました。

「この病院なら平気だ!!」

私も母もそう思いました。

 

母の診察のときがきました。

そこには、先日診ていただいた、K先生もいらっしゃいました。

K先生「遠いところ、ご足労おかけいたします。手術はI先生が行います。その前に、再び検査をいたします。」

母と私「わかりました。」

この日は、次回の検査の内容と手術担当が、I先生になると言うことを告げられました。

 

帰りは母と食事

その後に、ポケモンセンターへ。

母はポケモンセンターに行くのは、はじめてです。

「かわいいわねーこのタオル。買っていこう。入院用のタオルに使おう。ここにいると、子供たちいっぱいで、元気になってくるわね。」

 

 

私自身、息子とポケモンセンターに行くと元気になります。

ポケモンセンターに行くと、子供たちが生き生きした顔をしています。

ぬいぐるみが好きな息子も目がキラキラして楽しそうにします。

 

みんなが楽しそうにしているところに行くと元気になれます。

私自身が、そうでした。

 

その為、

「そうだ!母をポケモンセンターに連れて行ってみよう。」と思い

ポケモンセンターに母と行きました。

 

母もポケモンセンターで元気をもらえたようで良かったです。

この頃から、病院の帰りはポケモンセンターに行くことに。

 

2013年8月19日

内視鏡(胃)とMRI検査にY病院へ。

 

2013年8月21日

超音波検査(腹)と呼吸機能の検査にY病院へ。

 

2013年8月23日

CT検査と大腸内視鏡検査のためY病院へ。

 

2013年8月28日

K先生から紹介されたI先生に手術前のお話をうかがいにY病院に行きました。

I先生が、母の手術を担当をします。

この日は、手術前の話をするということと、今までY病院で行ってきた検査の結果を聞きに行く日です。

私、父、兄、母、家族みんなでY病院に行きI先生の話を聞きます。

 

「髪を短く切ったんです。あと、たばこをやめました。」

I先生「たばこ、やめたんですか。大変だったんじゃないですか。」

「それが、すぐにやめられたんですよ。」

I先生「そうですか。こちらは肺の画像になります。肺に、癌がいくつかあります。肺への転移ということで、ステージは4になります。」

「末期ですか・・・?」

I先生「末期というのは、また違いますよ。だって、あなた元気じゃないですか。」

I先生「直腸癌の進行癌、肺への転移でステージ4になります。8月30日に手術で、手術は腹腔鏡手術でおこないます。

場合によっては人工肛門になる可能性があります。手術後はICUに入る予定です。入院日数は2週間程度です。手術中と手術後に考えられることをいくつか説明いたします。

手術中は、出血、血栓症、ショックなど、

手術後は、縫合不全、腸閉塞、感染症などが起こる可能性があります。

肺に転移した癌については、散らばっている小さな癌は抗がん剤でたたきます。小さい癌がなくなってから肺にある、こちらの画像の癌を手術で取り除きます。」

 

このような説明を受けました。

 

この日のことは今でも覚えています。

父が

「転移していなければ良いと思っていたんだ。」

 

転移と言うことを知らない兄は、

本を読んだようで、

「転移って、いろんなとこに癌がいっちゃうのか・・・」

 

私は、このI先生に検査結果を知らされる時までには、転移がどのようなものかわかっていました。

大腸癌転移でステージ4になると5年生存率が急激に低くなることも理解していました。

直腸にある癌を取り除いた後も、肺には癌がある。

ステージは4。

絶望的な気持ちになり、その日はふさぎ込んでいたのを覚えています。

そんな時でした。

今の妻になる人に言われた一言で立ち上がました。

 

今の妻「どうしたの!大丈夫だよ!」

 

普段、私のやる事については一切口出しをしない妻が、言った一言。

これが、私にはききました。

この言葉で立ち上がりました。

 

「どうにかしよう!大丈夫だ!なんとかなる!」

と思えるようになったのです。

そして、全て前向きにプラスに考えられるようになりました。


母が大腸癌の肺転移でステージ4とわかって、父、兄、私は母に対する接し方が変わりました。

「一番ショックを受けるだろう考えていたから、あなたには癌の事をすぐに言えなかったけど、意外にもあなたが、一番冷静に考え行動しているわね。」

母にはこのように言われました。

私はそばに今の妻になる人がいて、助かりました。

すぐに気持ちを切り替えられました。

 

気持ちを切り替えてからは、自分でも

「あの時は、冷静に行動出来てた。」

「やれるだけのことはした。」

と考えています。

この日から、母は私のことをものすごく頼るようになりました。

父も同様に私を頼るようになりました。

 

I先生の説明後、父はいつもの父だとは思えないぐらいに、ものすごいショックを受けておりました。

兄も、また同様でした。

そして、父も兄も、母にとても優しくなりました。

 

私自身、ある経験から

「私の時間には、限りがある。」

という事は、この時までには理解しており、時間を大切に生きてきました。

癌というのは、人の時間には限りがあるという事を教えてくれます。

「母の時間には限りがある。」

頭でわかっていても、なかなか実感がわかないもの。

 

母が癌とわかり、母の時間には限りがるということを家族みんなが理解し、母に優しくなった。

母との時間を大切にするようになった。

「母の癌が我々に教えてくれたこと」

たくさんあります。



大腸がんの手術へ(腹腔鏡手術)

2013年8月29日

明日2013年8月30日の手術のために、母とY病院に向かいました。

手術前日(8月29日)に母は手術のため、入院。

看護師さんに入院する部屋を案内され、病院の中の施設の説明等を受けました。

Y病院にはデイルームがあり、患者さんやお見舞いに来た人のための飲み物が用意されています。

窓が大きく外の景色を眺めることができます。

デイルームの外の景色は自然と街並み両方を眺めることができ素晴らしいところです。

デイルームを綺麗で管理が隅々まで行き届いている病院という印象を受けました。

そして、看護師さんが、みなさんとてもやさしい。

手術前日、母は超音波検査をし、明日の手術のため「呼吸訓練器」を使い呼吸の練習をしていました。

私も「呼吸訓練機」に挑戦し、難しいなーと母と笑いながら明日の手術に備えました。

その後、私は帰宅。

2013年8月30日

手術の日。

この日は、父、兄、私と3人で病院に向かいました。

手術が終わるまでは、デイルームか病室で待っていることになります。

父は夜遅くまで仕事をしているので、眠っていました。

私「もうそろそろかな・・」

父がデイルームに来ました。

予定よりも大幅に時間がかかっている。

おそらく、手術がとても上手くいっているんだろう。

兄がデイルームから姿を消し、父と私がデイルームで二人になっていた時。

看護師さんが来ました。

看護師さん「手術が終わりました。どうぞ、こちらへ。」

父と私「はい。」

兄がいなくなってしまったので、父と私は看護師さんに案内され移動。

看護師さん「こちらで、お待ちください。」

父「ずいぶん時間がかかったよな。手術、失敗しちゃったのかな。」

私「いや・・うまくいったから、時間かかったんでしょ。」と思ったけれど、父には言いませんでした。

母が癌とわかり、父は母の癌について悪い方に考えることが多くなったように思います。

いつもの父とは思えないほど考え方が変わりました。

おそらく、父はとても心配していたんだと思います。

 

そして・・

手術を担当した、I先生が入ってきました。

I先生が入ってきた瞬間、I先生の表情で

「手術が成功したんだな」

と確信しました。

I先生「全て綺麗に取り除けました。こちらが取り除いたものになります。人工肛門にはなっていません。腹腔鏡手術で取り除きました。」

我々「ありがとうございます。」

我々はI先生が持ってきた取り除いた大腸癌を見ました。

ものすごい大きさ。

父「こんなに、とったんだ。」

取り除いた部分は、全長約34.5cm。

手術は大成功。

部屋を出ると兄がいました。

兄「あれ?どうだった?」

私「手術、成功したよ!」

父「すげーんだよ!こんなにとったんだよ!」

手で大きさをあらわす父。

 

いつもの父に戻り、とても元気になりました。

母はICUに入ることになります。

 

が・・・

母の病室に向かうと・・

なんと!!

母が寝ている。

どういうことだろう?

 

看護師さん「すいません。ICUがいっぱいで。」

私「そうなんですか。」

ということは、母が元気な証拠か。

母は、とても元気そうでした。

腹腔鏡手術なので、体に負担が少ないようです。

父「良かったね。大成功だ。I先生すっきりした顔で出てきたよ。」

母がうなずきました。

父「また、来るからな。」

我々は帰宅。

母の入院中、私は毎日病院へ行きました。

病院へ行き母が元気になっていく姿を見ることが楽しみでした。

もう一つ病院に行く楽しみがあります。

私が母に会いに行くと、検査などで病室にいないときがあります。

そんな時はデイルームで本を読みます。

普段、本を読むことに時間をとっていなかった私は、この点も病院に行く楽しみの一つでした。

待合室にいると、母がきます。

母「あー来てたんだ。」

私「そうそう。」

こんな会話をよくしました。


母が癌になることで、家族の心のケアも必要になるということがわかりました。

私は今の妻のおかげで、早い段階で落ち着くことが出来ました。

父は大変だったと思いますが、仕事をしている間は落ち着いていたと思います。

私の父と母は飲食店を経営しています。

父が元気になったのは、お客さんとの会話だと思います。

母が手術するにあたり、お店の客さんに母の病状を知らせました。

すると、お客さんみんなが色々な情報を教えてくれるのです。

父はこんな話をしていました。

父「お客さんに、しっかりねと言われたよ。良い人だなー。」

父が、元気なさそうにしていたので、お客さんが父を励ましたんだと思います。

父は「お客さんと色々な会話をすること」「癌を乗り越えた人の話をたくさん聞くこと」で、いつもの元気な父に戻っていきました。

癌を公表し、癌を乗り越えた人や闘病中の人と会話をすることは、家族の心のケアに役立つのではないでしょうか。

母自身も、病院で色々な方とお話をして精神状態はとても良かったです。


腹腔鏡手術成功→母退院→秋田県玉川温泉へ

大腸がんの手術で入院している母。

手術後、母は普通の椅子に座ることが辛そうでした。

お尻のあたりが痛むようです。

その時、役に立ったのが真ん中に穴が開いている下記のようなクッションです。

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これを使うことで母は座る時にかなり楽になったようです。

入院してから日が経過するごとに母の容態はどんどん良くなってきました。

母と院内を歩いていると、病院の中でピアノの演奏が行われるという情報を知りました。

母の入院していた病院では、病院にいることを忘れるような楽しめる工夫がたくさんあります。

ピアノの演奏を母とききにいきました。

とても、癒され元気になります。

ピアノを聞きながら私は

「母が今後したいことは何なんだろう・・・」

母に聞きました。

母が行きたい所は、北海道でした。

北海道は、大腸がんが発覚するまえに家族みんなで行こうと計画していた場所です。

この時、必ず行くと決めました。

 

2013年9月10日退院

母の退院の日は、思っていたより、はるかにはやかったです。

2週間かからずに退院になりました。

 

母が入院していて気づいたこと。

手術後は、看護師さんが頻繁に母のもとにやってきます。

そして、日が経つにつれて看護師さんが来なくなります。

看護師さんが頻繁に来なくなったのは、どうしてか。

考えました。

それは、母が元気になっている証拠だと思います。

私はそう考えました。

 

大腸ガンについては、今回の手術で綺麗に取り除くことが出来ました。

退院後は、肺の癌を小さくしてから取り除くことになり、抗がん剤治療に入ります。

抗がん剤治療に入るまでには、しばらく時間があります。

 

何かいい方法はないだろうか。

調べていくうちに秋田県に、湯治で有名な玉川温泉という所があるということを知りました。

 

玉川温泉、岩盤浴、何でもしようというおもいでした。

とにかく、必死でした。

 

北海道旅行で使おうと考えていたマイルは、玉川温泉に行くために使おうと決めました。

 

そして、

9月23日から3泊4日で秋田県の玉川温泉

9月26日から2泊3日で秋田市で観光

を決めました。




行きは、大館能代空港からタクシーで玉川温泉で向かい3泊

朝食、昼食、夜食、全てついたプランにしました。

1泊大人二人¥16,700

3泊で母と私、合計¥50,100でした。


帰りは、秋田市で2泊観光をして秋田空港から帰宅することに。

秋田では2泊大浴場付きのドーミーインに泊まることにしました。

大浴場、もしくは温泉がついているホテルがあると助かります。

1泊大人二人¥14,100

2泊で母と私、合計¥28,200でした。

 


玉川温泉とドーミーインは当時じゃらんで予約。
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秋田県の玉川温泉へ行く数日前です。

台風の影響で秋田空港から玉川温泉へ行く道が通行止めとなっており行くことが出来ないという情報が入ってきました。

我々は、大館能代空港からタクシーで玉川温泉へ行く予定だけれど、玉川温泉へ行けるのだろうか。

調べてみると大館能代空港から玉川温泉へは行けるようです。

では、帰りの玉川温泉から秋田駅へは行けるのだろうか。

調べると、秋田空港から玉川温泉へのバスは通行止めのようですが、玉川温泉から秋田駅までのバスは運行しているようでした。

通行する道路が異なるようです。

運が良かったです。

 


2013年9月23日

秋田県大館能代空港に到着。

 

我々が利用するタクシーの運転手さんが、出口で待っていてくれました。

タクシーに乗り込む私と母。

玉川温泉へ向かう途中、通行止めになって通れない所がありました。

タクシーの運転手さん「あっ・・・・・」

激しい台風だったようです。

道をたくさん知っている運転手さんで助かりました。

すぐに方向転換。

無事玉川温泉につきました。

タクシー料金は9600円。

クレジットカードで支払いました。


大腸がんの手術後は、手術した場所にもよると思いますが、普通の椅子に座ると辛いようです。

真ん中に穴があいているクッションが役にたちました。

母は、このクッションを使うことでかなり楽になったようです。

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玉川温泉ではたくさんの方と出会い、たくさんの経験、生きている喜びを味わうことができました。

元気であるという事、それがどれほど幸せなことか。

 

我が家の家訓は

「一番は元気なことです。」

です。

 

玉川温泉とドーミーインは当時じゃらんで予約。
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次回、秋田県玉川温泉でのことなどをまとめていきます。

 

玉川温泉一泊目(持ち物・食事・温泉・岩盤浴)

はじめに、玉川温泉に行くためにあるといい持ち物をご紹介いたします。

 

玉川温泉へ行くための持ち物

  1. ゴザ
  2. ジャージ
  3. タオル
  4. 歩きやすい靴

 

1.ゴザ

ゴザ(敷物)は、外の岩盤浴を利用するときに使います。

岩盤浴では、とても熱い場所があります。溶けるような素材の敷物ではないほうがいいです。

我々がゴザを利用しました。

ゴザの場合、ゴツゴツしているところで利用しても背中などが痛くならなかったのでゴザがいいかもしれません。


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2.ジャージ

室内の岩盤浴、外の岩盤浴同様、汗をものすごいかきます。

汗をかいても良い服装を持っていくことが必要です。

 


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3.タオル

岩盤浴では、汗をたくさんかきます。

タオルを数枚用意しておくと便利です。


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4.歩きやすい靴

外の岩盤浴へ行く道はとても整備されていますが、できるだけ歩きやすい靴で行くことが望ましいです。


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2013年9月23日玉川温泉一泊目

タクシーを降り、着いたその日、私は今の妻(この時は結婚していません)と息子に電話をかけました。

この時までに今の妻は、私の母のために健康に気を使い料理を作って私が実家に行く際、おみやげとして持たせてくれていました。

私が今の妻と電話していると、

母がきました。

母「ちょっと私に電話を代わってもらえる?」

私「お母さんが、電話で話したいみたい。」

母「はじめまして。いつも、料理ありがとうございます。お礼を言わなければいけないと思っていたんですが、息子が(今の妻が)気を使うから、お礼を言わなくていいっていうんですよ。今まで、ずっとお礼できずにいました。おせわになっています。必ず・・元気になりますから・・ね。そしたら、会いましょうね。」

母はこの時、今の妻と泣きながら話していました。

この時、母にも今の妻のやさしさが伝わっているんだな実感しました。

 

玉川温泉へチェックインしにいきました。

階段を利用して部屋までいきました。

部屋につくと、部屋にはテレビ、冷蔵庫、トイレはありません。

トイレは部屋を出たところにあります。

我々が宿泊したところは、寝る為の部屋です。

寝る以外は、一日中お風呂か岩盤浴に行きます。

玉川温泉に来たのは湯治の目的なので寝れる部屋があれば満足です。*新玉川温泉にも後日、見学に行きましたが、玉川温泉とは施設などが異なります。

 

チェックインを済ませた後、お腹が空いていたので玉川温泉の宿泊先にあったレストランへ行くことにしました。

レストランでは、秋田県の名産「じゅんさい」とおそばをいただきました。

 

その後、玉川温泉の宿に備え付けてある温泉と岩盤浴に行くことに。

はじめに温泉に入ることになり、私も温泉に入りました。

 

入った瞬間・・・

肌がピリピリしました。

痛い。

他のところにうつろう。

湯船の近くを歩いていると、温泉のお湯を飲む蛇口を発見。

おそるおそる、飲んでみました。

すっぱー・・・

驚くほど酸っぱい。

何か書いてある・・・

「うすめてお飲みください。」

なるほど!水と一緒にうすめて飲むようだ。

温泉に入っていると、色々な方のお話が耳に入ってきました。

手術の話、ガンの種類、保険の話。

たくさんのことを考えて行動しているんだろうな・・

温泉に入りながら、色々な方のお話に耳をかたむけ、とても勉強になりました。

 

先にお風呂から出て、母を待っていると・・・

よろよろして、今にも倒れそうな女性がいらっしゃいました。

私「大丈夫ですか。」

女性「大丈夫です。」

そこへ、母がきました。

母「どうしました。大丈夫ですか。」

母もその女性にすぐ気付いたようです。

女性「大丈夫です。ちょっと、のぼせてしまっただけです。」

母と私「そうでしたか。」

のちに、玉川温泉内でその方と会うたびにお話をするようになりました。

その方は、「ガンを治療したい思いでお湯に長くはいってしまう」

ようです。

そのため、のぼせてしまうようです。

玉川温泉では、色々な方とお話しするようになりました。

 

ある日・・

お客さん「私は、10年前にガンを発症したんです。完治から5年。ガンは再発していないんですけど、それでも毎年ここにきてしまうんですよ。」

一度ガンを発症すると完治しても、ガンのことが頭に残るようです。

そのように話している方がいらっしゃいました。

 

お風呂の後は、宿に備え付けの屋内岩盤浴へ。

屋内岩盤浴には、ゴザが用意されています。

天気に左右されることなく利用できる点が屋内岩盤浴の利点です。

屋内岩盤浴からでた後、一泊目の夕食をとるため夕食会場へ。

我々が泊まる以前、玉川温泉でノロウイルスが出てしまった影響で夕食会場に行く際に手を綺麗にあらい入り口ではスタッフの方が手を消毒してくれました。

夕食会場に到着。

 

夕食会場では

お客さんA「あらー。いつまでいるの?」

お客さんB「-日までいるのよ。」

このような会話をいたるところで聞きました。

玉川温泉には、何度もよくいらっしゃる方が多いようです。

 

玉川温泉の夕食バイキングはとても健康的な食事でした。

野菜が多く、味はうすあじです。

素材の味をいかしているという印象をうけました。

 

夕食を終え、今の妻に電話しようと外へ行くと外は真っ暗。

電話を終え部屋に戻ると、

母「外の岩盤浴に行きたい。」

私「じゃあ、見に行こう。今行ったけど、外真っ暗だから気をつけて歩こう。」

 

外の岩盤浴に到着

真っ暗です。

 

母は私の手を握ってきました。

真っ暗の中、二人で手をつなぎながら歩きました。

小さい時、私は母にくっついて離れなかったようです。

いつも、手をつないで歩いていたようです。

 

私が成人になってから初めて、母と手をつなぎ、玉川温泉の暗闇を一緒に歩きました。

この日から、母と手をつないで歩くことになんの違和感もなくなりました。

真っ暗の中、寝っ転がってみることにしました。

星がとても綺麗にみえました。

「母のがんを完治させるぞ!」

と心に近い部屋に戻り眠ることにしました。


玉川温泉では色々な経験をしました。

玉川温泉は湯治で有名な温泉ですが、ガンを治す効能があるかどうかは、私にはわかりません。

それでも、行ってみようと思いで行きました。

一つ私の経験でいえることは、玉川温泉にはガンを治そうとパワーみなぎる方がたくさんいらっしゃいます。

そのようなパワーみなぎる前向きな方と、出会いお話をすることは精神的にとても良く、心強い気持ちになってくると感じました。

何度も訪れる方がいらっしゃる理由には、

「色々な方とふれあいお話をしたい。」

という方もいらっしゃるのではないか、

そう思いました。

玉川温泉は、楽天トラベルでも予約できるようです。

私と母が泊まる宿泊プランは、朝食、昼食、夕食全てセットのプランにしました。

 

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玉川温泉二泊目→周辺散策(岩盤浴・新玉川温泉)

2013年9月24日玉川温泉二泊目

我々が宿泊している部屋には水道はありません。

宿泊部屋を出て歩いてすぐの所に共同の水道があります。

朝起きて、共同の水道で、歯磨きをして朝食会場へ向かいました。

夕食会場と同様の場所です。

朝食のランナップも野菜中心で、薄味。

体に良さそうなメニューです。

玉川温泉近くの外の岩盤浴に向かう前に、周辺を母と散歩しました。

大雨の影響で道が所々崩れて道幅がせまくなっています。

新玉川温泉が見えてきました。

新玉川温泉はまた後で見に行こうという事で、朝のウォーキングを終え、昨日の夜下見をした岩盤浴に向かいます。

クマの看板が・・・

クマが出るようですね。

岩盤浴では汗をかくので、タオルを持っていき服装はジャージに着替えました。

 

大噴

温度98度

PH1.2程の日本一の強酸性水が毎分8,400リットルほど湧き出しているようです。

下流の玉川は大噴の強酸性水の酸性が強く「玉川毒水」と呼ばれているようです。

ゴザを持ち岩盤浴へ向かいます。

岩盤浴へ向かう途中の道であたたまっている方もいらっしゃいます。

私「お母さん、この辺の道でもいいのかね。」

母「せっかくだから、奥の方まで行ってみましょう。」

私「そうだね。」

奥の方まで行ってみると、小屋が見えてきました。

小屋には煙突のようなものがあり、そこから煙がもくもくと出ていました。

私「ここが、岩盤浴かね。」

母「そうね。ここが良さそうね。ここに入ってみましょう。」

奥の方まで進んでいくと、小屋のようなものが見えてきます。

そこには、何人か並んでいる小屋もありました。

並ばないですぐに入れる小屋に入ってみました。

中に入ると、地面があたたかい。

母「この辺でいいのかしらね。」

中にいた方「こっちが、いいわよ。あたたかいから。今ここあけるわね。」

母「ありがとうございます。」

中にいた方「以前、この近くで雪崩が起きて死亡する事故があったんですってねー。」

母「そうなんですかー。」

中にいた方「私は、名古屋からきたんですよー。」

母「そうなんですか。今回ここには、はじめてきました。」

中にいた方「ここに来る方は、キャンピングカーで一ヶ月以上滞在する方もいるんですよ。ホテルに泊まってしまうとお金がかかってしまうからねー。」

母「一ヶ月以上滞在するんですか。私は、はじめてなので、一度来てみたくてホテルに泊まりました。」

中にいた方「ホテルでも、共同部屋利用で炊事ができる所があるんですけれど、知ってますか。そこなら安く泊まれるんですよ。私は、そこに泊まっています。」

母「そうなんですかー。」

母「この部分にガンがあるから、こっちを岩に地面につけたほうがいいかしら。」

私「そうだね。」

玉川温泉の外の岩盤浴に行くと、色々な方が会話をしています。

みなさん仲良さそうに話しています。

「この土地で出会う人はみんなすぐに仲良しになる。」という印象を受けました。

私も中に入り岩盤浴をしていましたが、みなさん湯治で訪れてらっしゃる方です。

外で並びの列が発生したら、私はすぐに外に出れるようにしておりました。

岩盤浴でものすごい汗をかきました。

岩盤浴後は、昼食券を利用し昼食を食べ、再び新玉川温泉までお散歩に行くことにしました。

新玉川温泉は玉川温泉とは異なるつくりで、部屋にはトイレ、テレビなども完備されているようですね。

新玉川温泉の中に入ると売店もあり、秋田県にきたら食べたかったババヘラアイスを購入。

ババヘラアイスを食べつつ、再び岩盤浴へ行くことにしました。

新玉川温泉からゴザを持って、歩いて玉川温泉近くの岩盤浴へ向かう方も多くいらっしゃいました。

先日起きた大雨の影響で、玉川温泉と新玉川温泉を結ぶ道が崩れています。

 

玉川温泉付近を散策しました。

その後、ホテルの室内岩盤浴に入り、玉川温泉につかり、夕食を食べ再び温泉に入りました。

母は一人で室内岩盤浴へ行ったり温泉に入ったり、一人でずっとその繰り返しをしていました。


玉川温泉には相部屋利用で泊まれる部屋もあります。

そこでは、炊事なども出来ます。

 

我々が泊まった部屋は、朝食夕食などがついていました。

玉川温泉から歩いていける距離にある新玉川温泉は玉川温泉とは異なり、部屋にテレビ、トイレなどがついています。

外の岩盤浴を利用する場合は玉川温泉から行く方が近いですが、新玉川温泉からでも歩いて行ける距離にあります。

新玉川温泉からゴザを持って、岩盤浴まで行く方が多くいらっしゃいました。

 

玉川温泉は、楽天トラベルでも予約できるようです。

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玉川温泉三泊目 外の岩盤浴で出会った若者のお話

2013年9月25日玉川温泉三泊目

朝起きて歯を磨こうとすると母がいません。

私「昨日、朝起きたら屋内岩盤浴に行くって話していたし、屋内岩盤浴にでも行ったのかな・・」

我々が玉川温泉に行った当時は屋内岩盤浴は朝の早い時間と夜は予約なしに入ることが出来ます。

しばらくすると、母が帰ってきました。

母「岩盤浴に行ってたのよ。」

私「そうだと思ったよ。」

母「ご飯に行こうか。」

私「そうだね。」

母「ご飯食べたら外の岩盤浴に行きましょう。」

私「そうしよう。」

 

朝ごはんを食べた後、外の岩盤浴へ向かいました。

この日も、色々な所から来た人が色々な会話をしていました。


男性「いやー。昔は好き嫌いが多くてねー。食べるのがあんまり好きじゃなかったんだよー。」

女性「そうですかー。」

男性「それがねー。胃がんになっちゃって。ずっと食べ物を食べれなくてね。今じゃ食べれることが幸せだよ。」

私「食べれることが幸せ・・確かに・・そうかもしれない・・」

女性「そうですねー。」

男性「母ちゃんといたいからねー。まだまだ死ねないのよ。」

女性「そうですよねー。」


女性A「娘がまだ若いんだけど、ガンになっちゃってねー。」

女性B「そうなんですかー。」

女性A「娘に、お母さん長生きしてね!なんて言われちゃってね。私も出来る限り長く娘と一緒にいたいのよ。それで、ここに来てみたの。」

女性B「そうでしたかー。」


玉川温泉最終日、当時の状況を鮮明に覚え、今でも心に残っている若い男の人の話があります。

玉川温泉にいらっしゃる方は、年配の方が多いのですが中には若い方もいらっしゃいます。

最終日、出会ったのは、20代後半くらいの男の人の話です。

私と母、その他何人かが外の岩盤浴の小屋の中にいました。

すると、20代後半くらいの男性が小屋の中に入ってきました。

20代後半の男性「この小屋の中は人がいっぱいやなー。入れんねー。入れん時は、どうしてんのかねー。」

中にいた女性「なーに言ってるの。入れなきゃ外に並ぶのよ。今日は並んでないけど、いつもはものすごい並んでいるのよ。」

20代後半の若い男性「へー、並ぶん?」

中にいた女性「そうよ。あなたは、観光かなんかで来たの?」

20代後半の若い男性「いやー。自分、ガンやでー。ここのウワサ聞いてきたんよ。」

私「えっ・・そんなに若いのに・・しかも元気そうだけど・・」

驚きました。

とても元気そうにしている若い男性、ガンのようです。

小屋にいたみんなが、「えっ」って思ったでしょう。

すると・・・

中にいた女性「あら・・そうだったのかい。ここへ、おいで。この場所が一番いいから。」

20代後半の若い男性「いいんかい?ありがとう。」

中にいた女性「あなた、どうやってここまできたんだい。」

20代後半の若い男性「バイクできたんよ。泊まるところはないから、すぐに帰るけど、ここが良いって聞いたからきてみたんよ。」

中にいた女性「そうかい。どこからきたんだい。」

20代後半の若い男性「ちょっと遠いんよ。大阪のほう。」

中にいた女性「そうかい。」

20代後半の若い男性「子供がまだ小さいんよ、俺、死ぬわけにはいかんのよ。で、仕事休んできたんよ。」

中にいた女性「・・・」

私「・・・」

20代後半の若い男性が話し続けます。

20代後半の若い男性「俺のガンは手術できんらしい。」

中にいた女性「・・・」

私と母「・・・」

20代後半の若い男性は、バイクで大阪から来たようです。

話を聞いていると、ガンが発覚し手術が出来ない状態でどうしていいかわからず、バイクで来てしまったようです。

泊まるところも決めず、とにかく来てしまったようです。

彼の気持ちがとてもよくわかります。

私も同じ立場ならどうしていいかわからず、とにかく動くかもしれません。

当初、明るい様子で小屋に入ってきて話しており元気そうだったのでわかりませんでした。

彼には子供もいるようです。

一度しか会っていない、顔も覚えていない、名前も聞いていないけど、会いたい。

元気でいてほしい。

ものすごい行動力のある方だった。

バイクを走らせながら、どんな思いできたんだろう。

ずっと、泣いていたのかもしれない。

泣きながらたどりついたのかもしれない。

ここにたどりついて、みんなが同じような状況なので元気が出てきたのかもしれない。

 

あの人を思いだすたびに、元気があれば十分と思える。

我が家の家訓は

「一番は元気なことです。」

です。


玉川温泉へ行き、たくさんの頑張っている人と出会い、会話を聞き、私自身勉強になりました。

母は玉川温泉へ行ったことで、心も体も元気になっていく様子がわかりました。

玉川温泉のお風呂に入ると「壮絶な手術を乗り越えたんだろうな。」と想像できる方もたくさんいらっしゃいます。

玉川温泉が直接ガンに対していいかどうか、私にはわかりません。

しかし、気持ちの面でいえば、母と私は元気になったのは確かです。

みんなが一生懸命に生きようと努力している、誰かのために生きようとしている。

 

自分の周りにいる人(友達、親、付き合う人)は、「前向きな人」「努力している人」「一生懸命な人」で固めることは大切なことかもしれません。


 

 


玉川温泉は、楽天トラベルでも予約できるようです。

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玉川温泉を出発して秋田市へ(玉川温泉から秋田市への行き方)(2019年5月25日New)

 

2013年9月26日玉川温泉を出発し秋田市へ

玉川温泉三泊四日の最終日四日目、私と母は玉川温泉を出発し次の宿泊先秋田市へ向かいます。

2013年当時、我々が宿泊した玉川温泉の部屋にあった玉川温泉の利用方法の詳細こちらです。

たくさんの良い経験が出来た玉川温泉を出発し秋田市へ向かいます。

玉川温泉から出てすぐのところにバス停があり、バスが出ています。

このバスに乗って鹿角花輪駅へ向かいました。

ここは、きりたんぽ発祥の地のようです。

 

鹿角花輪駅から池袋や埼玉など行けるようです。鹿角花輪駅からバスで秋田駅へ向かいます。

バスが来るまでには時間があります。

鹿角花輪駅で荷物をロッカーに入れようとすると入らず・・・

我々を見ていたお店の方が、

お店の方「お荷物、預かっておきますよ。」

我々「いいんですか。助かります。ありがとうございます。1時間ほどで戻ります。」

お店の方「ごゆっくり。」

とても優しい方でした。

鹿角花輪駅周辺を歩いているとスーパーを発見!!

ここで発見したのが黒ニンニク!!

しかも、激安!!!

スーパーで大量に黒ニンニクを購入しました。

今では黒ニンニクは、ネットでも購入出来ます。

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国内でも海外でも旅先では必ずスーパーに寄ります。

スーパーには珍しいものや、その土地の特産品、激安の品などがあったり、楽しいので寄ってしまいます。





鹿角花輪駅からバスで大舘駅まで行き、大舘駅から電車で秋田駅へと向かいます。

秋田市へ到着。

宿泊先のドーミーイン秋田につきました。

秋田市一日目は周辺のスーパーで買い物したり、千秋公園に行ったりしました。

宿泊先のドーミーイン秋田には大浴場があり、ゆっくりお風呂につかることができリフレッシュできました。


2013年9月27日秋田県男鹿半島へ「なまはげ」を見にいく(バスで秋田駅から男鹿半島への行き方)

秋田へ到着。

今日は、「きりたんぽ」を食べるぞ!!

どこで「きりたんぽ」を食べよう・・・

 

朝起きて、宿泊しているドーミーイン秋田の朝食バイキングに母と行くと

「きりんたんぽ」

がありました。

出汁がきいていて、本格的な味。

「きりたんぽ」がドーミーイン秋田で食べれて大満足。

 

今日は秋田市の観光をします。

どこへ行くか、まったく計画を立てていませんでした。

秋田といえば、「なまはげ」

本物の「なまはげ」を見てみたい。

どこで「なまはげ」が見れるのだろう。

調べてみると男鹿半島という場所で「なまはげ」が見れるようです。

男鹿半島・・・

どうやって行けばいいのか・・・

 

秋田駅を歩いている人に聞いてみました。

私「男鹿半島に行きたいんですけど、どういう行き方がありますか?」

人「バスで行くのが一番いいですよ。あそこにバス停があるので。」

私「そうですか。ありがとうございます。」

なるほど・・電車ではなく、バスで行くのがいいのか。

秋田駅バス停に到着。

私「男鹿半島に行きたいんですけど。」

バス停の人「ちょっと、待ってください。あーもうすぐ出ますね。あそこでチケットを買ってきてください。」

私「わかりました。ありがとうございます。」

秋田駅のバス停の近くに、男鹿半島まで行けるツアーバスのチケットが販売されていました。

このツアーバスがとても良いです!!

バスガイドさんが秋田を案内してくれ、「なまはげ館」に入れるチケットもついていました。

ツアーバスでは途中、男鹿半島のスカイパーク寒風山回転展望台に行き。

晴天で眺めがとても良かったです。

なまはげ館ではたくさんの「なまはげ」が。

なまはげ館の近くにある男鹿真山伝承館ではなまはげが実際にどのように家に入ってくるのかを劇のように楽しむことが出来ました。

ものすごい迫力の「なまはげ」。

なまはげが出て行ったあとに、なまはげがまとっていた藁(わら)が落ちることがあります。

この藁(わら)は「健康になる」「魔除けになる」「縁起が良い」として、お守り代わりにもなるようです。

なまはげから、無理やり引き抜いてしまった藁(わら)には、ご利益がないようです。

落ちた藁(わら)を拾うことがいいようです。

男鹿半島から秋田への向かう途中、海岸沿いは幻想的でとてもきれいでした。


2013年9月28日秋田県岩城みなとへ

本日は、玉川温泉と秋田旅行の最終日、秋田空港へ行くバスの時間に余裕があるので電車でどこかに行こうと思います。

 

岩城みなと駅には何かありそうだ・・・

電車でいけるのかな・・・

何も考えず、電車に乗ると・・・

途中の駅で停車してしまいました。

私と母「あれ??・」

電車の運転手「どこに行かれる?」

私「岩城みなと駅に行きたいんです。」

電車の運転士「一度秋田駅に戻ったほうが早いですよ。」

私「そうなんですか。」

先日、男鹿半島に行く際にバスがいいですよと教えてくれた理由がわかりました。

電車の本数が少ないようですね。

運転士の方に、声をかけていただき助かりました。

秋田駅へ戻り、岩城みなと駅に向かいました。

岩城みなとには、綺麗な海が広がっており、母と裸足になって砂浜をあるきました。

秋田には日帰り温泉が色々ありますが、岩城みなとにもあり、とてもリーズナブル。

毎日温泉二入りたくなってしまいますね。

岩城みなとを堪能した後は、電車で秋田駅まで行き、バスで秋田空港へ。



この旅行のあと、母は抗がん剤の治療に入ります。

母のガン闘病中は、母と一緒に母が好きなことをやり、母が元気になるような場所に行こうと決めていました。

母の内面、気持ちを元気に保つことは重要だと考えたからです。

抗がん剤の治療前に秋田旅行、玉川温泉へ行けて良かったです。

玉川温泉は、楽天トラベルでも予約できるようです。

楽天トラベルで玉川温泉の詳細を確認する

 

中心静脈ポート挿入術→抗がん剤治療(化学療法)へ(2019年6月1日New)

母のがんは、抗がん剤(分子標的薬を含む)やホルモン剤による治療が必要な状態ということでした。

湯治目的で行った秋田県の玉川温泉の旅行から帰ってきた後は、母の抗がん剤治療・化学療法がはじまります。

 

大腸がんの治療について

大腸がんの治療には、「内視鏡的治療」、「手術療法」、「化学療法(抗がん剤療法)」、「放射線療法」などがあります。

手術で取りきれないがんに対しては、がんの大きさをコントロールし、病気の進行を抑えるため、抗がん剤を用いる化学療法が有効な治療手段となります。

抗がん剤は、血液の中に入って全身をめぐり、がん細胞を直接攻撃し増殖を防ぐ働きがあります。

何種類かの抗がん剤を組み合わせて使う治療法は、効果が高いことがわかっています。

また最近では、がん細胞の特徴をターゲットとして選んで攻撃するように設計された「分子標的薬」と呼ばれる新しいお薬を組み合わせると、さらに治療の効果があることが、わかってきました。

抗がん剤は、がん細胞だけではなく正常な細胞にも影響を与えてしまうため、副作用(望ましくない作用)があらわれることがあります。

副作用の程度や内容は、抗がん剤の種類や組み合わせによっても異なります。

治療を安全に行うためには、副作用を正しく理解することが大切です。

また、抗がん剤の組み合わせによって、治療の方法やスケジュールにも違いがあります。

近年は、治療方法の工夫によって、外来で行える化学療法が増えています。

出典;ゼローダハンドブック 国立がん研究センター東病院  消化管内科 副科長 土井 俊彦先生

抗がん剤治療法(化学療法)には、入院して行う方法と外来で行う方法があるという説明をうけました。


中心静脈ポート挿入術・CSポート増設

母がおこなう抗がん剤治療・化学療法注射薬があります。

注射薬を何度もしていると、血管がつぶれてしまい刺せる場所が少なくなってくるという説明をうけました。

それを避けるには、中心静脈ポート挿入術をするといいということでした。

母が大腸がんの手術の時に、一緒の病棟に入院している方が、抗がん剤治療をしていました。

その方は、ポートを埋め込んでいなかったのですが、何度かしている注射薬により血管がつぶれてしまい刺せる場所が少なくなっているという話を聞きました。

ここでは、母が体の中に埋め込んだ、ポートについてまとめました。

 

中心静脈ポート挿入術のために頂いたプリントには、

  • 血管が出にくく注射が入りにくい方、注射してもすぐ漏れてしまう方などでは、何回も針を差し替える苦痛がおきる。
  • 中心静脈栄養といわれる栄養価の高い点滴をされる方は、治療が終了するまで胸が首より管(カテーテル)が出ていることになり、生活に不便を生じる。
  • カテーテルが長期間出ていることで感染などの合併症を生じる可能性がある。

出典:中心静脈ポート挿入術のために頂いたプリント

と書かれていました。

上記のようなことを避けるため、

カテーテルとポートと呼ばれる小さな器具を皮下に埋め込む手術があります。

皮膚の上からポートに針を刺すだけで、確実に静脈へ点滴投与できるようになり、治療を休むときには針を抜いて、お風呂にも入れます。

出典:中心静脈ポート挿入術のために頂いたプリント

 

母は中心静脈ポート挿入術をすることにし、中心静脈ポート挿入術をするために入院しました。

そして、入院中に母の1回目の抗がん剤治療(化学療法)をすることになりました。

中心静脈ポート挿入術は、鎖骨下の太い静脈を穿刺(せんし)し、カテーテルを心臓近くまで留置します。

カテーテルとポートをつないだら、皮膚を5cmほど切開し、その下にポートを埋め込みます。

埋め込んだ部位は表面からコブのように浮き上がります。

出典:中心静脈ポート挿入術のために頂いたプリント

注意点

ポートはその日から使用可能できますが、切開をするので、1~2週間ぐらいは傷の処理を必要とします。

ポートを使用しないときでも詰まらないように処置する必要があり、2~4週間毎に針をさしてカテーテルとポートを洗浄します。

出典:中心静脈ポート挿入術のために頂いたプリント

手術中の合併症:気胸、血腫、動脈穿刺、空気寒栓、神経損傷、カテーテルの屈曲、断裂など

術後の合併症:カテーテルの移動、断裂、カテーテルの周囲血栓形成、カテーテルからの漏れなど

出典:中心静脈ポート挿入術のために頂いたプリント


「血管がつぶれていくのを防ぐため」

「何回も針を差し替える苦痛をなくすため」

「生活に不便を生じなくさせるため」

「カテーテルが長期間出ていることによる感染などの合併症を生じなくさせるため」

今後の抗がん剤治療(化学療法)に向けて、上記の理由により、母はポートを埋め込む手術をしました。

心臓に近い右胸上にポートを埋め込みました。

飛行機に乗る時などに、ポートの件で引っかかった場合はこちらのカード(下記画像)を見せると良いようですが、ポートを埋め込み後も母と飛行機に乗りましたが、ポートの件で引っかかったことはありません。




抗がん剤治療(化学療法)・XELOX+アバスチン療法(ゼローダ錠・エルプラット・アバスチン)価格・副作用(2019年6月8日New)

母がおこなってきた抗がん剤治療(化学療法)の価格・副作用についてまとめていきます。

2013年10月XELOX+アバスチン療法をはじめたときは、保険適用だったので限度額適用認定証を提示することで一ヶ月の支払いは自己負担限度額までとなります。

 

病院での支払いが高額となる可能性がある場合は、あらかじめ限度額適用認定証をとっておくと一ヶ月に支払う限度額があらかじめわかるので安心できます。

 

自己負担限度額は年齢および所得状況等で異なります。


抗がん剤治療(化学療法)「XELOX+アバスチン療法」

  • ゼローダ錠(内服薬)
  • アバスチン(注射薬)
  • エルプラット(注射薬)

化学療法の説明と同意書には、

抗がん剤治療・化学療法には様々な副作用が起こることが予測されます。

その副作用の程度には個人差があります。

とありました。

説明と同意書にサインをしました。


ゼローダ

がん細胞の増殖を抑える抗がん剤のひとつです。

正常な細胞への影響をすくなくするため、体内の3種類の酵素によって変化し、最終的にがん細胞を選んで効果をはっきするようにつくられています。

つまり効率よくがん細胞を攻撃することができる飲み薬です。

出典;ゼローダハンドブック 国立がん研究センター東病院  消化管内科 副科長 土井 俊彦先生

 


アバスチン

がん細胞に栄養や酸素を運ぶ新しい血管がつくられないようにし、がん細胞を兵糧攻めにする、分子標的薬という新しいタイプのお薬です。

がん細胞の中まで抗がん剤が届きやすくする働きを持ち合わせ、ゼローダやオキサリプラチンが、がん細胞の増殖を抑える効果を高めることが期待できます。

出典;ゼローダハンドブック 国立がん研究センター東病院  消化管内科 副科長 土井 俊彦先生

 

「XELOX+アバスチン療法」は1コース3週間の治療を繰り返します。

 

初日に点滴し、その後ゼローダを服用します。

 


抗がん剤治療(化学療法)XELOX+アバスチン療法の副作用

XELOX+アバスチン療法副作用

  • 手足症候群
  • 末梢神経障害
  • 消化器症状
  • 骨髄抑制(白血球・好中球数の減少など)
  • 高血圧
  • 尿にたん白が出る(蛋白尿)

重篤な副作用(頻度は低い)

  • 消化管に穴があく(消化管穿孔)
  • 傷口が治りにくくなる(創傷治癒遅延)
  • 腫瘍(がん)からの出血
  • 動脈や静脈の中に血のかたまりができる(心筋梗塞、脳梗塞、深部静脈血栓症など)
  • けいれん発作、視覚障害など(可逆性後白質脳症症候群)

 

出典;ゼローダハンドブック 国立がん研究センター東病院  消化管内科 副科長 土井 俊彦先生

 

どのような副作用が出るかは個人によって異なるという説明を受けました。

 

抗がん剤治療中の副作用で、薬投与後に38度以上の発熱があった場合には、すぐに病院に連絡、また体調がすぐれないときにはすぐに病院に連絡してくださいとのことでした。

白血球数が低下し、細菌などの微生物による感染症が重症化する場合があるということでした。



抗がん剤治療中の記録(ダイアリー)(2019年6月15日New)

抗がん剤治療中、母は、毎日治療ダイアリーをつけていました。

治療ダイアリーについてまとめていきます。


2013年10月9日~10月29日:1コース目(3週間)

副作用:唇がけいれんし、手や足がしびれる。

冷たいものをさわると手がひりひりして、日常的に手袋が必要な状態。

冷蔵庫は、冷えているので手がひりひりして、中の物を取ることができない。

雨が頭の上に落ちてくると頭がひりひりしていくる。

 

10月11日:お腹はすくが、ご飯が食べられず、パンはおいしく食べることができた。

冷たいものがピリッとくる。

 

10月13日:お湯で洗い物をすると、手は平気でお風呂は気持ちよくはいれる。

 

10月15日:カレーなど、辛いものが食べたくなり、おいしく食べることができた。

 

10月24日:トイレの回数が多い。

 

トイレの回数:2回~8回

血圧:最大108~132 最小60~78

 

母は手術後、トイレの回数が増えたことが大変で、ウォシュレット(シャワートイレ)が必需品となりました。

外出先にウォシュレット(シャワートイレ)がない場所もあるため、下記のような携帯用のおしり洗浄機を購入しました。

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2013年10月31日~11月20日:2コース目(3週間)

副作用:食欲不振・手足感覚異常・しびれ・足が赤い(腫れ)

 

10月31日:今日も冷たい水などは刺激がありますが、温かいものにすれば問題なく食欲はある。

 

11月7日:気持ち悪いが吐くことはなく、揚げ物はおいしく食べれた。

 

11月13日:トイレ回数が多くぐっすり眠れない、8日頃からガスが出ると楽になる。

 

11月14日:腰が痛く、痛み止めがきれるとつらく、かったるく、気力がない。

ぐっすり寝たい。

 

11月15日:疲れやすいが、仮眠をすると回復する。

 

11月16日:だるく、気分にむらがある。

 

11月19日:今日は久しぶりに元気です。

 

11月20日:興奮状態で眠れず、安眠薬を飲む。

手足、目等がしびれる。

 

この時の母は、気分にむらがある印象がありました。

ものすごい興奮していたり、その逆だったり。

トイレがとても大変そうでした。

 

トイレの回数:6回~20回

血圧:最大132~148 最小74~84


2013年11月21日~12月11日:3コース目(3週間)

副作用:手足感覚異常・手足しびれ・足が赤い(腫れ)・のどの違和感

 

11月22日:トイレ回数が多くだるい、出来るだけ無理せずにゴロゴロしています。

 

11月23日24日:だるくて昼間は寝ていた。

夜になると少し元気になり、食事、ケーキなどの甘いものがおいしくいただけました。

 

11月25日:元気になってきて良かったです。

食べるのがはやくなってしまうので、ゆっくりゆっくり食べるよう気をつけること!!

 

11月28日:トイレの回数が多く大変なので、薬を朝と昼にしてみました。

 

母は食べるのがものすごいはやいです。

看護師さんや先生に、食べ物はゆっくり噛んで食べてくださいということでした。

ゆっくり食べる用に意識した母は、食べるのがものすごくゆっくりになっていきました。

 

トイレの回数:10回~18回

血圧:最大132~148 最小74~85


2013年12月12日~1月1日:4コース目(3週間)

副作用:手足感覚異常・手足しびれ・足が赤い(腫れ)・のどの違和感・手のひび割れと水疱

 

12月13日:少し疲れてきている。

風邪は少し良くなり、咳は少なく、鼻水は出る。

気力がダウン。

 

12月17日:歯医者で歯茎のはれ、歯のぐらつきなど、状態が悪いとの事。

体調は良くない。

 

12月18日19日:かったるく、気持ちが悪い。

右足の指が腫れていたい。

気力なし。

 

12月23日:体調が少し良くなってきた。

左の足の爪が大変なことに。

 

この頃の母は、気力や感情に、とてもむらがありました。

そして、足の指の爪がはがれてきました。

この頃、私は3月に家族で台湾の北投温泉に行くことに決めました。

その旅行を母はとても楽しみにしているようで、良かったです。

トイレの回数:7回~16回

血圧:最大130~148 最小72~85

 


2014年1月8日~1月28日:5コース目(3週間)

副作用:吐き気・手足感覚異常・手足しびれ・足が赤い(腫れ)・腹痛・食欲不振

 

1月10日:辛い毎日。夜間のトイレが大変です。

 

1月12日:トイレが大変です。

痛みもあり、回数も多くて、すごくすごくつらい。

毎日いつまで続くの・・・・

 

1月16日:トイレまだ大変。

夜中も何回もトイレへ行き、薬も飲むのでフラフラです。

辛い毎日です。

 

1月20日:体調がとても良い、楽しく仕事ができました。

 

1月20日:歯医者に行った所、状態が良くなったと言われとてもうれしい。

 

母がよく言っていたのは、とにかくトイレが大変ということでした。

父と母は飲食店を経営していますが、抗がん剤治療中、兄がお店を手伝っていました。

いつもより時間は短いですが、抗がん剤治療中も母は働いていました。

病院の先生には、ゆっくりしていてくださいと言われていましたが、働いてお客様とお話をすることが母にとっていいのかもしれません。

トイレの回数:5回~23回

血圧:最大142~158 最小75~96


2014年1月29日~2月18日:6コース目(3週間)

副作用:手足しびれ

 

2月1日:排便がはじめて2回という楽な結果で、便の状態も良くびっくり、今までの辛さがすっとびました!

 

2月7日8日:風邪でねこむ。

 

2月10日:CT検査、結果が良くなっているように!!体調良くなってきました。

 

トイレの回数がとても辛そうだったので、はじめて1日2回だったことが、とても嬉しかったようで、今までの辛さも吹き飛んだようです。

良かったです。

 

トイレの回数:2回~13回

血圧:最大128~160 最小77~90


2014年2月19日~3月11日:7コース目(3週間)

副作用:腹痛・手足のしびれ

 

この頃、母の日記には何も記載されていませんでした。

3月抗がん剤休憩の週に台湾の北投温泉へ行ってきました。

トイレの回数:0回~8回

血圧:最大124~139 最小80~85

 



 

抗がん剤治療(化学療法)中、同時にしてきた「フレッシュジュースを飲むこと」「漢方を煎じて飲むこと」「健康的な食事をバランスよくとること」(2019年6月22日New)

 

母が、抗がん剤治療中に同時に進めていったのは、

  • 健康的な食事をバランスよく取り入れていくこと(食事療法)
  • 漢方を煎じて飲むこと

でした。

 

母の通院している病院で

「どのような食事を積極的にとったほうがいいのか」

と色々な先生に聞きましたが、先生がおっしゃっていたことは

「なんでもバランスよく食べてください」

ということでした。

 

とうことで、一つの食品に偏った食べ方をするのではなく

「なんでもバランスよく食べる」

ことを心がけていきました。

 

それでも、がんが発覚してから、母は加工食品や添加物が入っている食べ物をあまり口にしないようになりました。

体が受けつけなくなってしまったようです。

 

母ががんになってから毎日続けてきたことは、

  1. フレッシュジュースを飲むこと
  2. 漢方を煎じて飲むこと
  3. 食べ物の品目を増やすこと

でした。

上記すべて、がんになってから、はじめたことです。

 


「フレッシュジュースを飲むこと」

フレッシュジュースは栄養素を壊しにくいといわれているスロージューサーで使って飲んでいます。

フレッシュジュースに使う食材は「果物」「野菜」

毎日フレッシュジュースを飲むので、スロージューサーは1年~2年ほどで買い替えています。

ヒューロムのスロージューサーは、部品のみでの販売をしており、壊れた部品のみを交換して再び利用できるので重宝しています。

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「漢方を煎じて飲むこと」

漢方といえば、粉状のものを水で飲むということしか知りませんでした。

 

漢方を煎じて飲むという事を知ったのは、両親が経営するお店のお客様に漢方について詳しい方がおり色々教えていただきました。

それから、漢方を煎じて飲むようになりました。

 

 

煎じているものは、

  • 黒霊芝(くろれいし)
  • カワラタケ
  • 竹節人参

です。

 


下記画像が我が家で使用している黒霊芝(くろれいし)

こちらは小さく刻まれていないものですが、刻まれているものを購入することもあります。

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下記画像がカワラタケです。

こちらは刻まれているものです。

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下記画像が竹節人参です。

刻まれたものになります。

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漢方の煎じ方・必要な物

  • 漢方(細かく砕くためにはミキサーも必要)
  • 鍋または漢方自動煎じ器
  • 計量器(はかり・スケール)
  • お茶パック




ミキサー

黒霊芝(くろれいし)・カワラタケ・竹節人参など、固いので細かくするのが非常に大変です。

我が家では、自分で切り刻みミキサーを使い粉々にしていますが、初めから粉になったものを購入することもあります。

こちらが我が家で愛用しているミキサーになります。

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漢方自動煎じ器

漢方を煎じるため、はじめは鍋でやっておりました。

しかし、毎回鍋で煎じている母を見て大変そうだったので、漢方専用の漢方自動煎じ器(文火楽々・とろびらんらん)を母に購入しました。

これが、とても優れもので、ボタン一つで漢方を煎じることが出来ます。

もうすぐで10年ほどになりますが、今でも使用できています。

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計量器

計量器は漢方をはかるときに使います。

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お茶パック

お茶パックは100均で購入しています。

ここに粉々にした漢方をいれて自動煎じ器もしくは鍋にいれて煎じます。


「食べ物の品目を増やすこと」

病院の先生に食事について聞いたところ、全ての先生がおっしゃっていたことが「なんでもバランスよく食べる」ということでした。

なんでもバランスよく食べるということは、母にとっては食べる品目を増やすということにつながりました。

これが、とてもやっかいでした。

 

そして、品目を増やすためにたどり着いたのが、外食時には自然食のバイキング

 

そして、家では

「きな粉」

「雑穀ご飯」

を毎日食べる。

 

「きな粉」と「雑穀ご飯」を食べることで1日数十個品目が増えます。

 

 


きな粉

母に購入しているのが、こちらの「十種雑穀はとむぎきな粉」です。

このきな粉には「大豆」「はとむぎ」「発芽玄米」「黒ごま」「とうもろこし」「黒大豆」「小豆」「緑豆」「黒米」「アマランサス」を焙煎した10種の穀物粉が含まれています。

朝のフレッシュジュースの中に「きな粉」を入れて母は毎日飲んでいます。
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雑穀ご飯

私が実家に戻る時に母に持っていくもののがこちらの

妻特製雑穀ご飯」

一食分ずつ小分けにして、冷凍にしておきます。

妻特製雑穀ご飯には、もち麦を加えた二十九穀プラス米、計30品目が含まれています。

妻特製雑穀ご飯」は、二十八穀を加え通常のお米を炊く時と同じように、炊飯器で炊いて出来上がりです。

二十八穀・「もち麦」「胚芽押麦(国産)」「もち黒米」「もちきび」「黒大豆(挽割)」「もちあわ」「小豆(挽割)」「押しもち麦」「白ごま」「アマランサス」「大手亡(挽割)」「黒もちあわ」「はとむぎ」「うるちひえ」「もち赤米」「うるち赤米」「緑米」「たかきび」「うるち玄米」「もち玄米」「大豆(挽割)」「青大豆(挽割)」「黒ごま」「エゴマ」「だったんそば米」「うるち黒米」「そば米」「うるちあわ」「うるちきび」

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「きな粉」「雑穀ご飯」昼食、夕食で毎日数十品目以上、母はとれていることになります。

 

2014年3月10日~14日・台湾北投温泉へ

2014年2月19日~3月11日:抗がん剤治療7コース目(3週間)の休薬日の間に台湾の北投温泉へ家族で行くことにしました。

台湾の北投温泉については再び更新いたします。