母が大腸がん→肺に転移(ステージ4)と診断・闘病記1

母が大腸がん→肺に転移(ステージ4)と診断・闘病記1

癌(がん)と診断された時の心構えとするべき大切なこと

こんにちは、のんきに本気なジョーです。

母の大腸がん(ステージ4)と診断されてから2018年7月で5年経過しました。

現在、大腸がん再発、転移なし。

肺のガンについても、全て切除し現在、再発、転移なし、肺がんについては10年経過する必要があるということで、あと5年、半年に一度検査をし闘病が続きます。

このページでは、息子として母にしてきたこと、母がやってきたこと、どのようにして母の癌(がん)を乗り越えてきたのかをまとめていきます。

母の入院中、私は週に6回は訪れて、メモを取り、先生看護師さんの話を聞き病状を把握していました。

私は、母が癌(ガン)になる前、期間は短いですが資産運用の会社と保険会社に就職しておりました。

ファイナンシャルプランナー(AFP)の資格を保有しており保険や医療のことについての知識を持っていたことが幸いでした。

*やってきたことを、まとめていきますが必ずしもそれがガンに対して効くか、ガンに対していいのかどうかは、わかりません。私の経験では良かったということです。大腸がん発覚当時、藁(わら)にもすがる思いでした。どんなことでも、体に良いと言われることはやってきました。

 

ガンと診断された時の心構えとするべき大切なこと

  1. あきらめないこと。
  2. 公表すること。
  3. 生活習慣をみなおすこと。
  4. 記録(メモ)をとること。
  5. ガンに対することを勉強しまくること。
  6. 体に良いことを色々試してみること。
  7. 出来る限りの時間を全て費やすこと。
  8. あらかじめ高額療養費制度を利用できるように、限度額適用認定証を用意しておくこと。
  9. 加入している医療保険など確認をすること。
  10. 先生を信じて信じすぎないこと。

私が一貫してやってきたことは、1~7までです。

8と9は、母が癌(がん)と診断された後、すぐに確認しました。

10については、ガン闘病中に気づかされたことです。



あきらめないこと

癌(ガン)と診断され、たとえどんな状態でも、あきらめないことが大切です。

ガン闘病中は何が起きるかわかりません。

そのことに気づかされたことが我々は実際におきました。

その出来事について、先生から

「とてもまれなことです」

と言われました。

 

闘病中、先生から

「非常に危険な状態です。」

と言われたこともありました。

緊急手術の後、ICUにいた母。

危険な状態は続き朝の2時位に帰宅した私は眠れず、携帯を握りしめていました。

いつ、病院から電話がくるかわからない。

そのような状態から母は這い上がりました。

あきらめないことです。

急に、医療が進歩して助かる道が開けるかもしれません。

ガンと診断されると、絶望的な気分に陥ると思います。

ガンの診断の結果ステージ4、転移が見つかったなど、結果が悪ければ悪いほど、どんどん絶望的な気持ちになると思います。私もそうでした。

5年生存率を調べたり、余命を調べてしまうこともあると思います。

息子である私も絶望的な気持ちでたくさん調べました。

そんなネガティブな気持ちを、打ち消してくれ、助けてくれたのが今の妻です。

妻は何も言わず、永遠と私の話を聞いてくれました。

そして、ネガティブな気持ちではいけないと思い、どうにか完治を目指そうと決めました。

5年生存率が、例え低くてもあきらめてはいけません。

それは、単なるデータだからです。

今までのガン患者のデータをいくらとっても、現在ガンと診断された私の母のデータは、そこには入っていません。

5年生存率が1パーセントだとしても、1パーセントあるから治ると考えるべきです。

今までの私の人生で1パーセントの確率で起きるようなことなんていうことは、たくさん経験してきました。

そして、たとえ0パーセントだとしても、あきらめてはいけません。

今の母のデータは、その0パーセントには反映されていません。

0パーセントだとしても、その0を塗り替える。

必ず助かると考えるべきです。


公表すること

私の母は料理人の父とともに飲食店を経営しています。

母は大腸がん発覚当時、私にもガンであることについて言いませんでした。

私は二日後位に、聞きました。

飲食店にくるお客様に、母はガンであることをはじめ公表していませんでした。

そして、大腸がんが肺に転移してステージ4であるということがわかった時、公表しました。

すると、まわりのお客様やガンを経験している方々から色々な知識を得られました。

結果的に公表したほうがいいのだ!ときづきました。

ごくまれにですが、

「転移のガンだから治らない。」という方や、

「私は、ステージ1で良かった。ステージ4だったら助からなかった。」などと、

我々に聞こえるように言う方もいます。

そういう方とは距離をとれば問題ありません。

とにかく、必死に治すことだけに集中することです。

そして、ほとんどの方は良い方です。我々は公表することが良いことにつながりました。


生活習慣をみなおすこと

癌(がん)と診断されたら、原因をつきとめることが大切です。

なぜ、癌(がん)になってしまったのか

タバコの吸い過ぎで肺がんになったとしたらタバコはやめるべきです。

何がいけなかったのかをよく考え抜き、みなおすことです。

母の大腸がんの場合

母はずっと便秘でした。

何十年もずっとです。

ある日急になってしまう癌(がん)もあるかもしれません。

何年もかけて大きくなっていった癌(がん)に関しては、何か原因があるはずです。

癌(がん)と診断されてからは、原因を突き止め、生活習慣をみなおすことです。

今では母は毎日、便が出ます。



記録(メモ)をとること

私は、母が大腸がん、肺への転移でステージ4、肺への転移の量が多すぎて手術不可と診断された時に、手帳をつくりました。

そして、どんな些細なことでも記録(メモ)をとるようにしました。

母のストレス状況、何を食べたか、漢方を飲み始めた日、何がしたいか、どこに行きたいか、いま体の痛みはあるか、先生や看護師さんから言われたこと、とにかく毎日あらゆることを記録(メモ)しました。

そして、その記録(メモ)のおかげで、どのようなことをしてきたのか、今現在このブログを書くことが出来ます。

今、ブログを書きながらその手帳を見ると、こんなことしたの?ということが多いです。

ほとんど忘れています。

必死だったのでしょう。

どんどん忘れていきます。

そのため、記録(メモ)をとることが大切です。

してきたこと全てを覚えられるような人は、そうそういないと思います。

つけてきた記録(メモ)をもとに、このブログが役に立つことがあれば、それは何よりもうれしいです。


ガンに対することを勉強しまくること

ガンの事を題材にした本、テレビ番組、色々あります。

そして、ガンに対して勉強しまくると必ず気づくことがあります。

それは、「この本、あの本と真逆のことを言っている。」ということです。

どうすれば、いいのかわからなくなってしまう時がきます。

そして、真逆のことを言っているなら、「ガンについて勉強しなくていいか」とおもってしまうかもしれません。

しかし、それは違います。

癌(がん)についての知識をつければつけるほど、どの本の言っていることが自分の母にはあてはまるのか。

どのような治療がいいのか、どのような先生が良いのかが知識をつければつけるほど、見えてきます。

ガンについてたくさんの知識をつめこみ、どうすることが母に良いのかを見極めることです。

どこの病院のなんという先生にみてもらうかが決まったらある程度は信じ信じすぎないことです。

信じすぎないというのはあることが起きてから気づかされたことです。

子育てにもあてはまります。

我が家はステップファミリーです。

子育ての本は多数ありますが、正解はありません。

私の中で一つ正解があるとしたら、「どんな時も愛情をもって無償の愛で接する。」ということです。

それは、「話を聞く。」「相手の立場になり想像する。」「言ったことは守る。」「時間を守る。」「見返りをもとめない。」「嘘をつかない。」これらを徹底していると、どのように息子と接することがいいのか、母と接するといいのか答えが見えてきます。

癌(がん)に対することを勉強しまくることです。

すると、どのように闘病していけば良いのかが見えてきます。



体に良いことを色々試してみること

ガンに対してというより、体にいいということを色々試してみることです。

お風呂、温泉、食べ物、散歩、運動、体に良いとされることは色々あると思います。

それら、全てをやってみる。

今までやってこなかった体に良いとされるあらゆることをやる。

それらの何が効いたかは効くのかははっきりしませんが、とにかく体に良いこをとやりまくる。

体を強くすることで増え続けるガン細胞を倒す細胞がたくさん作りだされるかもしれない?と勝手に考え、あらゆることを試しました。

*上記については、かもしれないということで科学的根拠は一切ありません。


出来る限りの時間を費やすこと

母の癌(がん)を知ってから正確にはステージ4とわかってからは、持っている時間の出来る限りを母に費やすと決めました。

当時、私は現在の妻と再婚をしようと考えている時でした。

数年前、母に子供がいる子と付き合いをしていることを打ち明けましたが、良い反応はしなかったので、それ以来数年間、その件についてはまったく話をしていませんでした。

しかし、母は、私がずっと現在の妻と付き合いをしていることを知っていたようでした

私は妻と妻の子供と出会い全てが良い方向にいきました。

まず、はげが良くなり、体の震えもなくなる、パニック障害を克服、花粉症が治り、光線過敏症も良くなり、睡眠時間1日2時間、熟睡などしたことなく、寝るとすぐに金縛りの全く眠れなかった私が眠れるようになりました。

それは、栄養士である妻が陰ながら私に作ってくれていた料理、私の話を何も言わず聞いてくれる、息子が遠いところまで私に会いに来る。

今の妻と、息子の私への、はかりしれない愛情で治ったのだとわかりました。

愛情で治るという科学的根拠はないのかもしれません。

しかし、私の病気のほとんどはストレスによりなってしまったと自分でも思っています。

当時、こんな苦しい辛い経験がこの世にあるのかということを経験し続けました。

そして、それがストレスとなり、体のあらゆるところに症状となって出てきました。

しかし、妻と息子と出会い、私の体調は全て治りました。

この時、私はストレスをなくすこと、考え方、食べ物、睡眠時間、愛情、色々な大切なことを学びました。

母は、私が今の妻と息子と出会い、私の病気が治っていったのをわかっていたようです。

どんなときも私の味方になってくれた母です。

子供がいる子と付き合いをしていることを打ち明けた時、良い反応をしなかったのは、一度離婚をしている私に再び苦労をしてほしくないと思った母の優しさからだと思います。

母が大腸がんと診断され、私は今の妻と息子の件を再び母に打ち明けました。

私は今の妻と息子のおかげで元気になりました。

だから母にも、妻と息子を会わせれば元気になると思ったからです。

すると、付き合いをしていることを知っていました。

その時、母が言った言葉

「あなたのお付き合いしている彼女には感謝してもしきれない。今の子と付き合ってからあなたは、どんどんよくなっていく。顔つきも体も、あなたは気づいていないかもしれないけれど、あなたの体の震えもなくなった。全て良くなった。文句を言いようがない。どうか、今の彼女との結婚を願っている。二人の事だからわからないけれど、どうか別れないでほしい。」

と言いました。

母は、私の妻と子供と会ったことも話したこともありません。

それでも、妻がどういう子か、妻の息子がどういう子か、わかっているようでした。

そして、今までお世話になりっぱなしの母のために出来る限りの時間を使うと決め完治を目指しました。


あらかじめ高額療養費制度を利用する為、限度額適用認定証を用意しておくこと

癌(がん)になると考えてしまうことに

医療費はどのくらいかかるだろう?

入院費、手術代はいくらかかるんだろう?

ということがあると思います。

しかし、安心してください。

日本には高額療養費制度というものがあります。

この制度について簡単に言うと

「医療費が高額になった場合は、申請することであとで払い戻される制度」

です。

ここでいう、

「あとで」

が考えるところです。

申請をしないと戻ってきません。

癌(がん)の治療、抗がん剤などにはたくさんのお金がかかります。

その都度、現金をたくさん用意するのは大変だと思います。*医療機関では現在クレジットカードを利用できるところが増えています。

そこで、便利なのが

限度額適用認定証

です。

限度額適用認定証があると、医療機関で支払うお金が自己負担限度額までとなります。

これにより、たくさんの現金を用意しておく必要がなくなります。

私は母が癌(ガン)と診断されるとすぐに限度額適用認定証を用意しました。

加入している医療保険など確認をすること

癌(がん)と診断されたら加入している医療保険を必ず確認してください。

医療保険には様々なタイプのものがあります。

保険適用外の先進医療が受けれるもの、癌(がん)と診断されたら一時金が受け取れるものなど。

私の母は、医療保険には入っておりましたが、ガン保険には入っておりませんでした。

高額療養費制度を利用しても、差額ベッド代や食事代については対象外になります。

食事代は高額になることは、あまりないと思いますが、差額ベッド代が入院日数が多くなると高額になる場合がございます。

差額ベッド代について考えるべき点があります。

母の入院時、差額ベッド代が不要な部屋で入院を希望していました。

しかし・・・全て埋まっているということが何度かありました。

差額ベッド代を支払わなければいけない部屋しか空いていないということがありました。

1日につき3000円程度ですが、10日入院で3万円です。

保険適用外となりますので、何度も何度も入院する場合は大きな出費となってしまいます。

母は長くて数カ月入院したときがあります。

その時は途中で差額ベッド代が必要のない部屋にしていただきました。

入院日数が長くなればなるほど、大きな出費になります。

加入している保険のすみずみまでよく読む必要があります。

私も母の入っている保険をすみずみまで確認いたしました。


先生を信じて信じすぎない

色々な知識をたくさんつけていくと、どんな先生が良いのか、どの先生に診てもらうのがいいのかがみえてきます。

そして、この先生に全て任せれば平気だと安易に考えてしまう時が出てきます。

先生は、人を助ける為、命を助けるためにやっています。

そんな先生を私は批判する気は全くありませんし、あのことが起きても先生にはものすごい感謝の気持ちでいっぱいです。

しかし、知識がまったくないまま先生を信じすぎるのは危険だと感じます。

私の母のガンの場合、非常にまれなことが起こりました。

そのことがきっかけで

「先生に任せすぎてしまった。信じて信じすぎないようにしよう。」

と決めました。

信じることは大切です。

ただ、自分で考えることをやめて、信じすぎるのはよくないと思いました。

 

「あれ?この治療法でいいのかな?」と思ったら

 

信じすぎずセカンドオピニオン、サードオピニオンと進んでください。

それが、ガンを完治させる道です。我々は実際にそうでした。

母がガンで闘病中、入院中、先生や看護師さん、入院患者のみなさま、たくさんの方々にお世話になりました。

患者の皆様はみなガンと向き合い戦っていました。

その姿に私もたくさんの力をもらいました。




母が大腸がんとわかった時にとった行動

2013年6月下旬~7月初旬、私が再婚を考えはじめているころ、今まで感じたことがない妙な胸騒ぎを毎日感じていました。

夜寝るとき、実家に住んでいる母を思い出し

「お願いします。長生きしてください。」

と毎日のように考えるようになったのです。

このように考えるようになったのは、どうしてか。

当時の母の印象は、私と一緒に出掛けるとすぐに疲れてしまうという印象でした。

私は母の体に何か起きているのではないかと思い、このような妙な胸騒ぎを毎日感じるようになったのかもしれません。

暑くなりはじめたころ(2013年7月6日)、私が実家に戻った時でした。

私は、家族みんなで北海道旅行に行く計画をしていました。私のマイルが貯まっていたので、そのマイルを使い普段お世話になっているお父さんとお母さんを旅行に招待しようと考えていたのです。

 

私「お母さん、マイルが貯まっているんだ。そのマイルで北海道旅行に10月頃行こうと思うんだけど、どうかな?」

母「旅行行きたいね。実は私、血液検査と検便をしたの。そしたら、便に血が混ざっていたみたいなのよ。だから、内視鏡をすることになったの。平気だと思うんだけどちょっと待ってね。」

私「そうなんだ。」

この時、私は、胸騒ぎはこれのことだったんだ・・

何か母の体で大変なことが起きているような気がする。

そう思いました。

母「どう?息子からみて私平気だよね?平気だと思うでしょ?」

私「平気だと思うよ。でも北海道旅行は内視鏡の結果の後に決めようか。そういえば、なんで、検便をすることにしたの?」

母「便が出た時に、血が混ざっていたのよ。だから病院に行ったの。そしたら検便をすることになって。」

私「その時の便って何色?」

母「すこし黒っぽかったかな?赤ではなかったのよ。」

黒っぽかったのか・・私は、どんどん嫌な予感がしてきました。

母「大丈夫よね?」

私「大丈夫だよ!」

その時、私は大丈夫と言いました。

しかし、もしかしたら大腸がんかもしれないと考えていました。

その理由はいくつかあります。

母は、数十年間ずっと便秘です。便は1週間に1度出るか出ないか。便が出ても、細い便でとても匂います。また母は食べ物はベーコンや、甘いものが大好きです。

このようなことから、大腸がんをかもしれないと考えてしまいました。

母はヘビースモーカーです。この時、肺については大丈夫なのだろうか?とも考えていました。

 

たばこについて、母に

私「たばこをやめたほうがいいよ。」

と、よく言っていました。

しかし、

母「たばこは私の生きがいなんだ。たばこをやめるくらいなら人生をやめる。」

とまで言っていました。そこから、私はたばこについて何も言わなくなりました。

私が子供の時、

私「お母さん、がんの検査をしたほうがいいよ。」
とよく言っていました。

しかし、母は検査をしません。

私が知っている限り一度だけ、がんについて検査をした時があります。

その時は、肺に影が見つかったので詳しく調べますということでした。

その検査では、平気でした。

このように、何かあってからでないと母はがんの検査をしませんでした。

自分自身に対しても言えますが、ガンの検査や人間ドックなどは本人が行く気がないと、行かないと思います。

家族の異変に気づいた時は、本人に行く気がない場合、家族が予約をとって本人を連れていくということがいいのかもしれません。

そうしないと、何かあってから検査するということになります。

ガンの場合、何かあってからでは進行してしまっている可能性があります。

今回、母は便に血が混ざっていたということで検便をし内視鏡を受けることになりました。

大腸がんの場合は、既に進行している可能性があります。

そして、母は大腸内視鏡(2013年7月18日)をしました。

母は結果を私にはすぐに言いませんでした。

私「あれ?もう、結果出ている日だけど母から電話こないな。平気だったのかな。こっちから電話するのはよそう。」

仕事で事務所へ行きました。

仕事をしていると、兄がきて

兄「お母さんから聞いた?」

私「何も聞いてないよ。」

兄「そうか。お母さんから連絡くると思うよ。」

と言いました。

すると、その後、実家にいる母からすぐに電話がきました。

母「お母さん、検査の結果良くなかったのよ。」

私は、やはりそうか。。と思いました。

私「そうなんだ。」

としか言えませんでした。

どう良くなかったのかについても聞けませんでした。

声のトーンで結構良くないのだなとわかりました。

実家に戻り母に会いました。

そこには、内視鏡で大腸をうつした画像がありました。

画像をみると、腸の中に癌(がん)がびっしりつまっていました。

「こんなに、なっちゃってるんだよ。」と父が言いました。

これ(癌)のおかげで、便秘だったり、便が細かったり、血が混ざっていたんだ!と私は思いました。

私はその画像を見た時、

私「大丈夫だよ。治るよ。平気。」

と言いました。

腸は、ガンでびっしりで、ものすごいひどい状態でした。

しかし、不思議と私はそのとき大丈夫と心から思ったのです

今まで私は色々な困難を乗り越えてきた、今回の母の件も乗り越えられると考えていたのです。



ここで書いている記事のことについては、当時感じた、私の個人的経験上の話となりますので、参考程度にしていただき、鵜呑みにすることのないようにお願いいたします。

医学は日々進化しています。新しいことをどんどん調べていく必要があります。

普段の生活で大腸がんの初期症状に気づくのは難しいかもしれません。

便が細い、便に血がまざっているという症状が出た場合は、大腸がんだとすると少し進行している可能性が高いようです。*母の場合もそうでした。

私の考えでは、大腸内視鏡を定期的に受けることが大腸がんを進行させないとても良い方法であると考えています。

また本人が自分自身で病院に検査に行かないという場合は、家族が予約して連れていくという方法がいいかもしれせん。



大腸がん発覚→セカンドオピニオン

大腸がんが発覚した当時、母は内視鏡を受けた先生のすすめで、近所の病院で手術してもらうことになりました。

その当時、以下のような会話を先生としたようです。

母「他の病院でも診てもらいたい。」

先生「他の病院って、知っている病院があるんですか?早く予約を取らないといけないですよ。すぐにでも手術をしないといけない。今から電話して予約をとっておくのですぐに行って手術をしてください。」

と当時の内視鏡をした先生は、その先生の先輩が働いている近所の病院の予約をとりました。

母はその近所の病院で手術することがとても不安だったようです。

母は、ある行動に出たようです。

大腸がんとわかったその日に、信頼している病院の先生の所にすぐに行きどのようにしたらいいのかお話を伺いに行ったようです。*母から聞いた話です。この時点で、私は母が大腸がんであるということを知りません。この次の日に私は知ることになります。

母が信頼している病院の先生に話をした後にも答えが出ず、母(父と飲食店を経営)はお店に来るお客様で病院に詳しい方にお話をうかがい、大腸がんに精通している先生を教えていただきました。

その方いわく、その大腸がんに精通している先生に診てもらうは難しいようです。

母は、インターネットでお客様に教えていただいた先生(K先生とします)についてたくさん調べたようです。

この時すでに母は、セカンドオピニオンを考えていました。

母は調べていくうちに、K先生が都内で病院を開いていることを発見しました。

 

ここから先は、私がつけてきた記録と記憶からに記事になります。

母は、

「K先生に診てもらいたい

と決意し私に大腸がんを告白した日、私と父の前でK先生の病院に電話しました。

 

母「大腸がんが見つかって、ものすごい大変な状況のようなんです。どうか力になっていただけないでしょうか。」

母は泣きながら、電話の人に訴えかけていました。

たくさん話をしていました。

話していくうちに・・

「そうですか。とにかく、来てください。診てみます。」

ということになりました。

診てもらうえることになったのです。

7月23日に電話して7月25日に予約をとっていただけました。

 

私「お母さん、良かったね。自分が信じられる先生に診てもらえそうだね。そういえば、近所の病院、予約とってしまっているから行きませんと伝えた方がいいかもしれないね。」

母「そうだよね。電話しておいたほうがいいよね。」

そして、近所の病院は、キャンセルしました。

 

2013年7月25日、とても良い天気暑い日でした。

今でも覚えています。

この時から、私は

母との時間を大切にしよう

出来る限り母と時間をとろう

母が楽しいと思うことをしていこう。

と決めました。

実家からとても遠い病院です。

私と母は、電車を使いK先生の病院に向かいました。

病院につくと、看護師さんから

「再び内視鏡をします」

という説明を受けました。

この日は、次回の内視鏡の説明を受けて終わりました。

内視鏡をする日が2013年8月1日になりました。

こちらの病院では、早期発見の小さいものなら内視鏡で取れるということを私と母は、知っていました。

私は

「そうなればいいな」

と願っていました。

病院の帰り、母と一緒に食事をするためレストランを調べておきました。

自然食のバイキング形式のお店で食事をしました。

母の大腸がん発覚から、今まで母が好きだった甘いもの、ベーコン、ソーセージ、ハンバーガーなどから、野菜をとるように変えていきました。

自然なものを食べる。

品目を多く食べる。

ことを心がけました。

私は、母と食事に行くときは野菜がとれる自然食のバイキング形式のお店で食べることにしました。

自然なものを食べることができ、品目も多く食べることが出来るのでバイキング形式がとても良いと考えました。

2013年8月1日、再び内視鏡をするためにK先生の病院に行きました。

自宅で腸が綺麗になるまで便を出し、病院についた時には、まだ腸が綺麗になっていませんでした。

綺麗になったとき、母が内視鏡を受けに行きました。

待合室で、雑誌を読んでいた私・・・

雑誌の内容が頭に全く入ってこなかったのを覚えています。

待合室でずっと、

「内視鏡で悪いところがすべて取れてしまえばいいな。」

と考えていました。

その思いとは反対に・・

母はすぐに出てきました。

内視鏡の後は、しばらく横になって休みます。

 

母「随分、早かったね。私の癌、内視鏡では取れなかったのかな。」

私「うん。どうなんだろう。」

先生に呼ばれました。

先生「直腸に癌(がん)がドーナッツ状にあります。ここではなく、Y病院で再び診ることになります。」

この時、母も私も不思議に思いました。

母に話をしている先生は、母が診てもらいたかった先生ではなかったのです。

母「今日の内視鏡は、K先生(有名な先生です)がやってくれたんですか?」

先生「そうですよ。内視鏡はK先生がやられました。お話は私がします。それでは、Y病院で再び診てもらってください。8月13日に予約を取っておきました。」

母「わかりました。」

とても、心配そうな母。

母と待合室にいると・・

なんと!

K先生が病院内を歩いています

母が、急に立ち上がりました!

母「先生!私、大丈夫でしょうか!」

他の看護師さんが、母がK先生と話すのを止めようとします。

K先生「あー大丈夫ですよ。」

そこでお話は終わりました。

「大丈夫ですよ。」の一言が嬉しかったです。

その後、母と再びこの前と同じ場所(自然食のバイキング形式のレストラン)で食事をとりました。

気が早い母はデパートで入院のためのタオルなどを買いそろえていました。

「入院日も決まっていない。」

「入院するかどうかもまだわからない。」

それでも、母は何か行動をしたかったのかもしれません。



母は、大腸がんが発覚し、たばこをやめました。

大腸がんとわかったその日から一切吸っていません。

「たばこをやめるくらいなら人生をやめる。」

と言っていた母がたばこをやめました。

そして、母は、美容院に行き長かった髪も短くしました。


以下は、「内視鏡では母の癌(がん)を取ることが出来ない。」とわかった時の私の行動です。

  • 大腸がんについて、たくさんの本を読み勉強した。
  • 市役所へ行き「限度額認定証」を取った。
  • 母の生命保険の確認をした。
  • 「療養手帳」をつけることにした。
  • 食事について勉強した。

食事についても、たくさん勉強しました。

当時、食べるようになったのが黒ニンニクです。黒ニンニクという存在があることを、知りませんでした。

黒ニンニク
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Y病院での検査結果→ステージ4

2013年8月13日

再び診てもらうためにY病院に母と行きました。

ものすごく大きな病院。

病院の中にはカフェもコンビニもあります。

とても明るくて清潔な病院で病院とは思えない。

病院特有の匂いも全くしないし、病院特有の静かな雰囲気も感じません。

病院では足音が気になりますが、この病院では足音もしない。

色々な工夫をされているんだろうな、来る患者の事を考えて設計しているんだろうなと感動してしまいました。

「この病院なら平気だ!!」

私も母もそう思いました。

 

母の診察のときがきました。

そこには、先日診ていただいた、K先生もいらっしゃいました。

K先生「遠いところ、ご足労おかけいたします。手術はI先生が行います。その前に、再び検査をいたします。」

母と私「わかりました。」

この日は、次回の検査の内容と手術担当が、I先生になると言うことを告げられました。

 

帰りは母と食事

その後に、ポケモンセンターへ。

母はポケモンセンターに行くのは、はじめてです。

「かわいいわねーこのタオル。買っていこう。入院用のタオルに使おう。ここにいると、子供たちいっぱいで、元気になってくるわね。」

 

 

私自身、息子とポケモンセンターに行くと元気になります。

ポケモンセンターに行くと、子供たちが生き生きした顔をしています。

ぬいぐるみが好きな息子も目がキラキラして楽しそうにします。

 

みんなが楽しそうにしているところに行くと元気になれます。

私自身が、そうでした。

 

その為、

「そうだ!母をポケモンセンターに連れて行ってみよう。」と思い

ポケモンセンターに母と行きました。

 

母もポケモンセンターで元気をもらえたようで良かったです。

この頃から、病院の帰りはポケモンセンターに行くことに。

 

2013年8月19日

内視鏡(胃)とMRI検査にY病院へ。

 

2013年8月21日

超音波検査(腹)と呼吸機能の検査にY病院へ。

 

2013年8月23日

CT検査と大腸内視鏡検査のためY病院へ。

 

2013年8月28日

K先生から紹介されたI先生に手術前のお話をうかがいにY病院に行きました。

I先生が、母の手術を担当をします。

この日は、手術前の話をするということと、今までY病院で行ってきた検査の結果を聞きに行く日です。

私、父、兄、母、家族みんなでY病院に行きI先生の話を聞きます。

 

「髪を短く切ったんです。あと、たばこをやめました。」

I先生「たばこ、やめたんですか。大変だったんじゃないですか。」

「それが、すぐにやめられたんですよ。」

I先生「そうですか。こちらは肺の画像になります。肺に、癌がいくつかあります。肺への転移ということで、ステージは4になります。」

「末期ですか・・・?」

I先生「末期というのは、また違いますよ。だって、あなた元気じゃないですか。」

I先生「直腸癌の進行癌、肺への転移でステージ4になります。8月30日に手術で、手術は腹腔鏡手術でおこないます。

場合によっては人工肛門になる可能性があります。手術後はICUに入る予定です。入院日数は2週間程度です。手術中と手術後に考えられることをいくつか説明いたします。

手術中は、出血、血栓症、ショックなど、

手術後は、縫合不全、腸閉塞、感染症などが起こる可能性があります。

肺に転移した癌については、散らばっている小さな癌は抗がん剤でたたきます。小さい癌がなくなってから肺にある、こちらの画像の癌を手術で取り除きます。」

 

このような説明を受けました。

 

この日のことは今でも覚えています。

父が

「転移していなければ良いと思っていたんだ。」

 

転移と言うことを知らない兄は、

本を読んだようで、

「転移って、いろんなとこに癌がいっちゃうのか・・・」

 

私は、このI先生に検査結果を知らされる時までには、転移がどのようなものかわかっていました。

大腸癌転移でステージ4になると5年生存率が急激に低くなることも理解していました。

直腸にある癌を取り除いた後も、肺には癌がある。

ステージは4。

絶望的な気持ちになり、その日はふさぎ込んでいたのを覚えています。

そんな時でした。

今の妻になる人に言われた一言で立ち上がました。

 

今の妻「どうしたの!大丈夫だよ!」

 

普段、私のやる事については一切口出しをしない妻が、言った一言。

これが、私にはききました。

この言葉で立ち上がりました。

 

「どうにかしよう!大丈夫だ!なんとかなる!」

と思えるようになったのです。

そして、全て前向きにプラスに考えられるようになりました。



母が大腸癌の肺転移でステージ4とわかって、父、兄、私は母に対する接し方が変わりました。

「一番ショックを受けるだろう考えていたから、あなたには癌の事をすぐに言えなかったけど、意外にもあなたが、一番冷静に考え行動しているわね。」

母にはこのように言われました。

私はそばに今の妻になる人がいて、助かりました。

すぐに気持ちを切り替えられました。

 

気持ちを切り替えてからは、自分でも

「あの時は、冷静に行動出来てた。」

「やれるだけのことはした。」

と考えています。

この日から、母は私のことをものすごく頼るようになりました。

父も同様に私を頼るようになりました。

 

I先生の説明後、父はいつもの父だとは思えないぐらいに、ものすごいショックを受けておりました。

兄も、また同様でした。

そして、父も兄も、母にとても優しくなりました。

 

私自身、ある経験から

「私の時間には、限りがある。」

という事は、この時までには理解しており、時間を大切に生きてきました。

癌というのは、人の時間には限りがあるという事を教えてくれます。

「母の時間には限りがある。」

頭でわかっていても、なかなか実感がわかないもの。

 

母が癌とわかり、母の時間には限りがるということを家族みんなが理解し、母に優しくなった。

母との時間を大切にするようになった。

「母の癌が我々に教えてくれたこと」

たくさんあります。



大腸がんの手術へ(腹腔鏡手術)

2013年8月29日

明日2013年8月30日の手術のために、母とY病院に向かいました。

手術前日(8月29日)に母は手術のため、入院。

看護師さんに入院する部屋を案内され、病院の中の施設の説明等を受けました。

Y病院にはデイルームがあり、患者さんやお見舞いに来た人のための飲み物が用意されています。

窓が大きく外の景色を眺めることができます。

デイルームの外の景色は自然と街並み両方を眺めることができ素晴らしいところです。

デイルームを綺麗で管理が隅々まで行き届いている病院という印象を受けました。

そして、看護師さんが、みなさんとてもやさしい。

手術前日、母は超音波検査をし、明日の手術のため「呼吸訓練器」を使い呼吸の練習をしていました。

私も「呼吸訓練機」に挑戦し、難しいなーと母と笑いながら明日の手術に備えました。

その後、私は帰宅。

2013年8月30日

手術の日。

この日は、父、兄、私と3人で病院に向かいました。

手術が終わるまでは、デイルームか病室で待っていることになります。

父は夜遅くまで仕事をしているので、眠っていました。

私「もうそろそろかな・・」

父がデイルームに来ました。

予定よりも大幅に時間がかかっている。

おそらく、手術がとても上手くいっているんだろう。

兄がデイルームから姿を消し、父と私がデイルームで二人になっていた時。

看護師さんが来ました。

看護師さん「手術が終わりました。どうぞ、こちらへ。」

父と私「はい。」

兄がいなくなってしまったので、父と私は看護師さんに案内され移動。

看護師さん「こちらで、お待ちください。」

父「ずいぶん時間がかかったよな。手術、失敗しちゃったのかな。」

私「いや・・うまくいったから、時間かかったんでしょ。」と思ったけれど、父には言いませんでした。

母が癌とわかり、父は母の癌について悪い方に考えることが多くなったように思います。

いつもの父とは思えないほど考え方が変わりました。

おそらく、父はとても心配していたんだと思います。

 

そして・・

手術を担当した、I先生が入ってきました。

I先生が入ってきた瞬間、I先生の表情で

「手術が成功したんだな」

と確信しました。

I先生「全て綺麗に取り除けました。こちらが取り除いたものになります。人工肛門にはなっていません。腹腔鏡手術で取り除きました。」

我々「ありがとうございます。」

我々はI先生が持ってきた取り除いた大腸癌を見ました。

ものすごい大きさ。

父「こんなに、とったんだ。」

取り除いた部分は、全長約34.5cm。

手術は大成功。

部屋を出ると兄がいました。

兄「あれ?どうだった?」

私「手術、成功したよ!」

父「すげーんだよ!こんなにとったんだよ!」

手で大きさをあらわす父。

 

いつもの父に戻り、とても元気になりました。

母はICUに入ることになります。

 

が・・・

母の病室に向かうと・・

なんと!!

母が寝ている。

どういうことだろう?

 

看護師さん「すいません。ICUがいっぱいで。」

私「そうなんですか。」

ということは、母が元気な証拠か。

母は、とても元気そうでした。

腹腔鏡手術なので、体に負担が少ないようです。

父「良かったね。大成功だ。I先生すっきりした顔で出てきたよ。」

母がうなずきました。

父「また、来るからな。」

我々は帰宅。

母の入院中、私は毎日病院へ行きました。

病院へ行き母が元気になっていく姿を見ることが楽しみでした。

もう一つ病院に行く楽しみがあります。

私が母に会いに行くと、検査などで病室にいないときがあります。

そんな時はデイルームで本を読みます。

普段、本を読むことに時間をとっていなかった私は、この点も病院に行く楽しみの一つでした。

待合室にいると、母がきます。

母「あー来てたんだ。」

私「そうそう。」

こんな会話をよくしました。



母が癌になることで、家族の心のケアも必要になるということがわかりました。

私は今の妻のおかげで、早い段階で落ち着くことが出来ました。

父は大変だったと思いますが、仕事をしている間は落ち着いていたと思います。

私の父と母は飲食店を経営しています。

父が元気になったのは、お客さんとの会話だと思います。

母が手術するにあたり、お店の客さんに母の病状を知らせました。

すると、お客さんみんなが色々な情報を教えてくれるのです。

父はこんな話をしていました。

父「お客さんに、しっかりねと言われたよ。良い人だなー。」

父が、元気なさそうにしていたので、お客さんが父を励ましたんだと思います。

父は「お客さんと色々な会話をすること」「癌を乗り越えた人の話をたくさん聞くこと」で、いつもの元気な父に戻っていきました。

癌を公表し、癌を乗り越えた人や闘病中の人と会話をすることは、家族の心のケアに役立つのではないでしょうか。

母自身も、病院で色々な方とお話をして精神状態はとても良かったです。


腹腔鏡手術成功→母退院→秋田県玉川温泉へ

大腸がんの手術で入院している母。

手術後、母は普通の椅子に座ることが辛そうでした。

お尻のあたりが痛むようです。

その時、役に立ったのが真ん中に穴が開いている下記のようなクッションです。


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これを使うことで母は座る時にかなり楽になったようです。

入院してから日が経過するごとに母の容態はどんどん良くなってきました。

母と院内を歩いていると、病院の中でピアノの演奏が行われるという情報を知りました。

母の入院していた病院では、病院にいることを忘れるような楽しめる工夫がたくさんあります。

ピアノの演奏を母とききにいきました。

とても、癒され元気になります。

ピアノを聞きながら私は

「母が今後したいことは何なんだろう・・・」

母に聞きました。

母が行きたい所は、北海道でした。

北海道は、大腸がんが発覚するまえに家族みんなで行こうと計画していた場所です。

この時、必ず行くと決めました。

 

2013年9月10日退院

母の退院の日は、思っていたより、はるかにはやかったです。

2週間かからずに退院になりました。

 

母が入院していて気づいたこと。

手術後は、看護師さんが頻繁に母のもとにやってきます。

そして、日が経つにつれて看護師さんが来なくなります。

看護師さんが頻繁に来なくなったのは、どうしてか。

考えました。

それは、母が元気になっている証拠だと思います。

私はそう考えました。

 

大腸ガンについては、今回の手術で綺麗に取り除くことが出来ました。

退院後は、肺の癌を小さくしてから取り除くことになり、抗がん剤治療に入ります。

抗がん剤治療に入るまでには、しばらく時間があります。

 

何かいい方法はないだろうか。

調べていくうちに秋田県に、湯治で有名な玉川温泉という所があるということを知りました。

 

玉川温泉、岩盤浴、何でもしようというおもいでした。

とにかく、必死でした。

 

北海道旅行で使おうと考えていたマイルは、玉川温泉に行くために使おうと決めました。

 

そして、

9月23日から3泊秋田県の玉川温泉

9月26日から2泊秋田市で観光

を決めました。




行きは、大館能代空港からタクシーで玉川温泉で向かい3泊

朝食、昼食、夜食、全てついたプランにしました。

1泊大人二人¥16,700

3泊で母と私、合計¥50,100でした。



帰りは、秋田市で2泊観光をして秋田空港から帰宅すること

秋田では2泊大浴場付きのドーミーインに泊まることにしました。

大浴場、もしくは温泉付きがホテルを選ぶ私の一つの基準です。

1泊大人二人¥14,100

2泊で母と私、合計¥28,200でした。

 


玉川温泉とドーミーインは当時じゃらんで予約。
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秋田県の玉川温泉へ行く数日前です。

台風の影響で秋田空港から玉川温泉へ行く道が通行止めとなっており行くことが出来ないという情報が入ってきました。

我々は、大館能代空港からタクシーで玉川温泉へ行く予定だけれど、玉川温泉へ行けるのだろうか。

調べてみると大館能代空港から玉川温泉へは行けるようです。

では、帰りの玉川温泉から秋田駅へは行けるのだろうか。

調べると、秋田空港から玉川温泉へのバスは通行止めのようですが、玉川温泉から秋田駅までのバスは運行しているようでした。

通行する道路が異なるようです。

運が良かったです。

 


2013年9月23日

秋田県大館能代空港に到着。

 

我々が利用するタクシーの運転手さんが、出口で待っていてくれました。

タクシーに乗り込む私と母。

玉川温泉へ向かう途中、通行止めになって通れない所がありました。

タクシーの運転手さん「あっ・・・・・」

激しい台風だったようです。

道をたくさん知っている運転手さんで助かりました。

すぐに方向転換。

無事玉川温泉につきました。

タクシー料金は9600円。

クレジットカードで支払いました。


大腸がんの手術後は、手術した場所にもよると思いますが、普通の椅子に座ると辛いようです。

真ん中に穴があいているクッションが役にたちました。

母は、このクッションを使うことでかなり楽になったようです。

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玉川温泉ではたくさんの方と出会い、たくさんの経験、生きている喜びを味わうことができました。

元気であるという事、それがどれほど幸せなことか。

 

我が家の家訓は

「一番は元気なことです。」

です。

 

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次回、秋田県玉川温泉でのことなどをまとめていきます。

 

玉川温泉一泊目(持ち物・食事・温泉・岩盤浴)

はじめに、玉川温泉に行くためにあるといい持ち物をご紹介いたします。

 

玉川温泉へ行くための持ち物

  1. ゴザ
  2. ジャージ
  3. タオル
  4. 歩きやすい靴

 

1.ゴザ

ゴザ(敷物)は、外の岩盤浴を利用するときに使います。

岩盤浴では、とても熱い場所があります。溶けるような素材の敷物ではないほうがいいです。

我々がゴザを利用しました。

ゴザの場合、ゴツゴツしているところで利用しても背中などが痛くならなかったのでゴザがいいかもしれません。


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2.ジャージ

室内の岩盤浴、外の岩盤浴同様、汗をものすごいかきます。

汗をかいても良い服装を持っていくことが必要です。


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3.タオル

岩盤浴では、汗をたくさんかきます。

タオルを数枚用意しておくと便利です。

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4.歩きやすい靴

外の岩盤浴へ行く道はとても整備されていますが、できるだけ歩きやすい靴で行くことが望ましいです。


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2013年9月23日玉川温泉一泊目

タクシーを降り、着いたその日、私は今の妻(この時は結婚していません)と息子に電話をかけました。

この時までに今の妻は、私の母のために健康に気を使い料理を作って私が実家に行く際、おみやげとして持たせてくれていました。

私が今の妻と電話していると、

母がきました。

母「ちょっと私に電話を代わってもらえる?」

私「お母さんが、電話で話したいみたい。」

母「はじめまして。いつも、料理ありがとうございます。お礼を言わなければいけないと思っていたんですが、息子が(今の妻が)気を使うから、お礼を言わなくていいっていうんですよ。今まで、ずっとお礼できずにいました。おせわになっています。必ず・・元気になりますから・・ね。そしたら、会いましょうね。」

母はこの時、今の妻と泣きながら話していました。

この時、母にも今の妻のやさしさが伝わっているんだな実感しました。

 

玉川温泉へチェックインしにいきました。

階段を利用して部屋までいきました。

部屋につくと、部屋にはテレビ、冷蔵庫、トイレはありません。

トイレは部屋を出たところにあります。

我々が宿泊したところは、寝る為の部屋です。

寝る以外は、一日中お風呂か岩盤浴に行きます。

玉川温泉に来たのは湯治の目的なので寝れる部屋があれば満足です。*新玉川温泉にも後日、見学に行きましたが、玉川温泉とは施設などが異なります。

 

チェックインを済ませた後、お腹が空いていたので玉川温泉の宿泊先にあったレストランへ行くことにしました。

レストランでは、秋田県の名産「じゅんさい」とおそばをいただきました。

 

その後、玉川温泉の宿に備え付けてある温泉と岩盤浴に行くことに。

はじめに温泉に入ることになり、私も温泉に入りました。

 

入った瞬間・・・

肌がピリピリしました。

痛い。

他のところにうつろう。

湯船の近くを歩いていると、温泉のお湯を飲む蛇口を発見。

おそるおそる、飲んでみました。

すっぱー・・・

驚くほど酸っぱい。

何か書いてある・・・

「うすめてお飲みください。」

なるほど!水と一緒にうすめて飲むようだ。

温泉に入っていると、色々な方のお話が耳に入ってきました。

手術の話、ガンの種類、保険の話。

たくさんのことを考えて行動しているんだろうな・・

温泉に入りながら、色々な方のお話に耳をかたむけ、とても勉強になりました。

 

先にお風呂から出て、母を待っていると・・・

よろよろして、今にも倒れそうな女性がいらっしゃいました。

私「大丈夫ですか。」

女性「大丈夫です。」

そこへ、母がきました。

母「どうしました。大丈夫ですか。」

母もその女性にすぐ気付いたようです。

女性「大丈夫です。ちょっと、のぼせてしまっただけです。」

母と私「そうでしたか。」

のちに、玉川温泉内でその方と会うたびにお話をするようになりました。

その方は、「ガンを治療したい思いでお湯に長くはいってしまう」

ようです。

そのため、のぼせてしまうようです。

玉川温泉では、色々な方とお話しするようになりました。

 

ある日・・

お客さん「私は、10年前にガンを発症したんです。完治から5年。ガンは再発していないんですけど、それでも毎年ここにきてしまうんですよ。」

一度ガンを発症すると完治しても、ガンのことが頭に残るようです。

そのように話している方がいらっしゃいました。

 

お風呂の後は、宿に備え付けの屋内岩盤浴へ。

屋内岩盤浴には、ゴザが用意されています。

天気に左右されることなく利用できる点が屋内岩盤浴の利点です。

屋内岩盤浴からでた後、一泊目の夕食をとるため夕食会場へ。

我々が泊まる以前、玉川温泉でノロウイルスが出てしまった影響で夕食会場に行く際に手を綺麗にあらい入り口ではスタッフの方が手を消毒してくれました。

夕食会場に到着。

 

夕食会場では

お客さんA「あらー。いつまでいるの?」

お客さんB「-日までいるのよ。」

このような会話をいたるところで聞きました。

玉川温泉には、何度もよくいらっしゃる方が多いようです。

 

玉川温泉の夕食バイキングはとても健康的な食事でした。

野菜が多く、味はうすあじです。

素材の味をいかしているという印象をうけました。

 

夕食を終え、今の妻に電話しようと外へ行くと外は真っ暗。

電話を終え部屋に戻ると、

母「外の岩盤浴に行きたい。」

私「じゃあ、見に行こう。今行ったけど、外真っ暗だから気をつけて歩こう。」

 

外の岩盤浴に到着

真っ暗です。

 

母は私の手を握ってきました。

真っ暗の中、二人で手をつなぎながら歩きました。

小さい時、私は母にくっついて離れなかったようです。

いつも、手をつないで歩いていたようです。

 

私が成人になってから初めて、母と手をつなぎ、玉川温泉の暗闇を一緒に歩きました。

この日から、母と手をつないで歩くことになんの違和感もなくなりました。

真っ暗の中、寝っ転がってみることにしました。

星がとても綺麗にみえました。

「母のがんを完治させるぞ!」

と心に近い部屋に戻り眠ることにしました。



玉川温泉では色々な経験をしました。

玉川温泉は湯治で有名な温泉ですが、ガンを治す効能があるかどうかは、私にはわかりません。

それでも、行ってみようと思いで行きました。

一つ私の経験でいえることは、玉川温泉にはガンを治そうとパワーみなぎる方がたくさんいらっしゃいます。

そのようなパワーみなぎる前向きな方と、出会いお話をすることは精神的にとても良く、心強い気持ちになってくると感じました。

何度も訪れる方がいらっしゃる理由には、

「色々な方とふれあいお話をしたい。」

という方もいらっしゃるのではないか、

そう思いました。

玉川温泉は、楽天トラベルでも予約できるようです。

私と母が泊まる宿泊プランは、朝食、昼食、夕食全てセットのプランにしました。

 

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玉川温泉二泊目→周辺散策(岩盤浴・新玉川温泉)

2013年9月24日玉川温泉二泊目

我々が宿泊している部屋には水道はありません。

宿泊部屋を出て歩いてすぐの所に共同の水道があります。

朝起きて、共同の水道で、歯磨きをして朝食会場へ向かいました。

夕食会場と同様の場所です。

朝食のランナップも野菜中心で、薄味。

体に良さそうなメニューです。

玉川温泉近くの外の岩盤浴に向かう前に、周辺を母と散歩しました。

大雨の影響で道が所々崩れて道幅がせまくなっています。

新玉川温泉が見えてきました。

新玉川温泉はまた後で見に行こうという事で、朝のウォーキングを終え、昨日の夜下見をした岩盤浴に向かいます。

クマの看板が・・・

クマが出るようですね。

岩盤浴では汗をかくので、タオルを持っていき服装はジャージに着替えました。

 

大噴

温度98度

PH1.2程の日本一の強酸性水が毎分8,400リットルほど湧き出しているようです。

下流の玉川は大噴の強酸性水の酸性が強く「玉川毒水」と呼ばれているようです。

ゴザを持ち岩盤浴へ向かいます。

岩盤浴へ向かう途中の道であたたまっている方もいらっしゃいます。

私「お母さん、この辺の道でもいいのかね。」

母「せっかくだから、奥の方まで行ってみましょう。」

私「そうだね。」

奥の方まで行ってみると、小屋が見えてきました。

小屋には煙突のようなものがあり、そこから煙がもくもくと出ていました。

私「ここが、岩盤浴かね。」

母「そうね。ここが良さそうね。ここに入ってみましょう。」

奥の方まで進んでいくと、小屋のようなものが見えてきます。

そこには、何人か並んでいる小屋もありました。

並ばないですぐに入れる小屋に入ってみました。

中に入ると、地面があたたかい。

母「この辺でいいのかしらね。」

中にいた方「こっちが、いいわよ。あたたかいから。今ここあけるわね。」

母「ありがとうございます。」

中にいた方「以前、この近くで雪崩が起きて死亡する事故があったんですってねー。」

母「そうなんですかー。」

中にいた方「私は、名古屋からきたんですよー。」

母「そうなんですか。今回ここには、はじめてきました。」

中にいた方「ここに来る方は、キャンピングカーで一ヶ月以上滞在する方もいるんですよ。ホテルに泊まってしまうとお金がかかってしまうからねー。」

母「一ヶ月以上滞在するんですか。私は、はじめてなので、一度来てみたくてホテルに泊まりました。」

中にいた方「ホテルでも、共同部屋利用で炊事ができる所があるんですけれど、知ってますか。そこなら安く泊まれるんですよ。私は、そこに泊まっています。」

母「そうなんですかー。」

母「この部分にガンがあるから、こっちを岩に地面につけたほうがいいかしら。」

私「そうだね。」

玉川温泉の外の岩盤浴に行くと、色々な方が会話をしています。

みなさん仲良さそうに話しています。

「この土地で出会う人はみんなすぐに仲良しになる。」という印象を受けました。

私も中に入り岩盤浴をしていましたが、みなさん湯治で訪れてらっしゃる方です。

外で並びの列が発生したら、私はすぐに外に出れるようにしておりました。

岩盤浴でものすごい汗をかきました。

岩盤浴後は、昼食券を利用し昼食を食べ、再び新玉川温泉までお散歩に行くことにしました。

新玉川温泉は玉川温泉とは異なるつくりで、部屋にはトイレ、テレビなども完備されているようですね。

新玉川温泉の中に入ると売店もあり、秋田県にきたら食べたかったババヘラアイスを購入。

ババヘラアイスを食べつつ、再び岩盤浴へ行くことにしました。

新玉川温泉からゴザを持って、歩いて玉川温泉近くの岩盤浴へ向かう方も多くいらっしゃいました。

先日起きた大雨の影響で、玉川温泉と新玉川温泉を結ぶ道が崩れています。

 

玉川温泉付近を散策しました。

その後、ホテルの室内岩盤浴に入り、玉川温泉につかり、夕食を食べ再び温泉に入りました。

母は一人で室内岩盤浴へ行ったり温泉に入ったり、一人でずっとその繰り返しをしていました。



玉川温泉には相部屋利用で泊まれる部屋もあります。

そこでは、炊事なども出来ます。

 

我々が泊まった部屋は、朝食夕食などがついていました。

玉川温泉から歩いていける距離にある新玉川温泉は玉川温泉とは異なり、部屋にテレビ、トイレなどがついています。

外の岩盤浴を利用する場合は玉川温泉から行く方が近いですが、新玉川温泉からでも歩いて行ける距離にあります。

新玉川温泉からゴザを持って、岩盤浴まで行く方が多くいらっしゃいました。

 

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玉川温泉三泊目(最終日)外の岩盤浴で出会った若者のお話(2019年5月18日更新)

2013年9月25日玉川温泉三泊目(最終日)

朝起きて歯を磨こうとすると母がいません。

私「昨日、朝起きたら屋内岩盤浴に行くって話していたし、屋内岩盤浴にでも行ったのかな・・」

我々が玉川温泉に行った当時は屋内岩盤浴は朝の早い時間と夜は予約なしに入ることが出来ます。

しばらくすると、母が帰ってきました。

母「岩盤浴に行ってたのよ。」

私「そうだと思ったよ。」

母「ご飯に行こうか。」

私「そうだね。」

母「ご飯食べたら外の岩盤浴に行きましょう。」

私「そうしよう。」

 

朝ごはんを食べた後、外の岩盤浴へ向かいました。

この日も、色々な所から来た人が色々な会話をしていました。


男性「いやー。昔は好き嫌いが多くてねー。食べるのがあんまり好きじゃなかったんだよー。」

女性「そうですかー。」

男性「それがねー。胃がんになっちゃって。ずっと食べ物を食べれなくてね。今じゃ食べれることが幸せだよ。」

私「食べれることが幸せ・・確かに・・そうかもしれない・・」

女性「そうですねー。」

男性「母ちゃんといたいからねー。まだまだ死ねないのよ。」

女性「そうですよねー。」


女性A「娘がまだ若いんだけど、ガンになっちゃってねー。」

女性B「そうなんですかー。」

女性A「娘に、お母さん長生きしてね!なんて言われちゃってね。私も出来る限り長く娘と一緒にいたいのよ。それで、ここに来てみたの。」

女性B「そうでしたかー。」


玉川温泉最終日、当時の状況を鮮明に覚え、今でも心に残っている若い男の人の話があります。

玉川温泉にいらっしゃる方は、年配の方が多いのですが中には若い方もいらっしゃいます。

最終日、出会ったのは、20代後半くらいの男の人の話です。

私と母、その他何人かが外の岩盤浴の小屋の中にいました。

すると、20代後半くらいの男性が小屋の中に入ってきました。

20代後半の男性「この小屋の中は人がいっぱいやなー。入れんねー。入れん時は、どうしてんのかねー。」

中にいた女性「なーに言ってるの。入れなきゃ外に並ぶのよ。今日は並んでないけど、いつもはものすごい並んでいるのよ。」

20代後半の若い男性「へー、並ぶん?」

中にいた女性「そうよ。あなたは、観光かなんかで来たの?」

20代後半の若い男性「いやー。自分、ガンやでー。ここのウワサ聞いてきたんよ。」

私「えっ・・そんなに若いのに・・しかも元気そうだけど・・」

驚きました。

とても元気そうにしている若い男性、ガンのようです。

小屋にいたみんなが、「えっ」って思ったでしょう。

すると・・・

中にいた女性「あら・・そうだったのかい。ここへ、おいで。この場所が一番いいから。」

20代後半の若い男性「いいんかい?ありがとう。」

中にいた女性「あなた、どうやってここまできたんだい。」

20代後半の若い男性「バイクできたんよ。泊まるところはないから、すぐに帰るけど、ここが良いって聞いたからきてみたんよ。」

中にいた女性「そうかい。どこからきたんだい。」

20代後半の若い男性「ちょっと遠いんよ。大阪のほう。」

中にいた女性「そうかい。」

20代後半の若い男性「子供がまだ小さいんよ、俺、死ぬわけにはいかんのよ。で、仕事休んできたんよ。」

中にいた女性「・・・」

私「・・・」

20代後半の若い男性が話し続けます。

20代後半の若い男性「俺のガンは手術できんらしい。」

中にいた女性「・・・」

私と母「・・・」

20代後半の若い男性は、バイクで大阪から来たようです。

話を聞いていると、ガンが発覚し手術が出来ない状態でどうしていいかわからず、バイクで来てしまったようです。

泊まるところも決めず、とにかく来てしまったようです。

彼の気持ちがとてもよくわかります。

私も同じ立場ならどうしていいかわからず、とにかく動くかもしれません。

当初、明るい様子で小屋に入ってきて話しており元気そうだったのでわかりませんでした。

彼には子供もいるようです。

一度しか会っていない、顔も覚えていない、名前も聞いていないけど、会いたい。

元気でいてほしい。

ものすごい行動力のある方だった。

バイクを走らせながら、どんな思いできたんだろう。

ずっと、泣いていたのかもしれない。

泣きながらたどりついたのかもしれない。

ここにたどりついて、みんなが同じような状況なので元気が出てきたのかもしれない。

 

あの人を思いだすたびに、元気があれば十分と思える。

我が家の家訓は

「一番は元気なことです。」

です。


玉川温泉へ行き、たくさんの頑張っている人と出会い、会話を聞き、私自身勉強になりました。

母は玉川温泉へ行ったことで、心も体も元気になっていく様子がわかりました。

玉川温泉のお風呂に入ると「壮絶な手術を乗り越えたんだろうな。」と想像できる方もたくさんいらっしゃいます。

玉川温泉が直接ガンに対していいかどうか、私にはわかりません。

しかし、気持ちの面でいえば、母と私は元気になったのは確かです。

みんなが一生懸命に生きようと努力している、誰かのために生きようとしている。

 

自分の周りにいる人(友達、親、付き合う人)は、「前向きな人」「努力している人」「一生懸命な人」で固めることは大切なことかもしれません。


 

 



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